「よっ」 「きゃっ」 その時、いきなり背後から後頭部を小突かれた。顔を上げれば、彼がいた。首からはスタッフパスが下げられている。マネージャーが時々迎えに来てくれる彼に用意してくれたものだ。 「もう…驚かさないでよぉ…ひかりくんのばか…」 「ごめんごめん。んじゃー帰るか」 「う、うん」 ひかりはさも当たり前のようにハトリの荷物を持ってくれる。今でこそ慣れたが、最初は自分が持つと言い張っていたものだった。しかし彼は荷物を持たせてくれず、「何か持たせてよ…」とやや泣きそうな小声で言えば、手を繋がれた。公衆の面前で。「オレの手持ってりゃいいよ」と。公衆の面前で。幸い週刊誌に報じられることはなかったが、あんな危険な橋渡りは二度とごめんだし、何より、恥ずかしかった。もっとも、ハトリに恋人がいることは世間に知れ渡ってはいるのだが、見世物ではないので見られたくない。…しかしまぁ、恋人と堂々と睦まじくできない自分が悔しくもあるのだけれど。 ううう、といろんな考えが頭の中をぐるぐるする。頭の中で考え込んでしまうのが自分の悪い癖だということは分かっているのだが、治らない。ひかりの背中を追いかけながらも、思考は続く。その時。 思考に神経を集中させすぎたのだろう、脚が縺れた。ばちんと脳内思考が強制シャットアウトされ、体がぐらつき、傾ぐのをようやく感じた。ハトリ、と、振り返ったひかりの焦りを孕んだ声が聞こえる。体勢を立て直せるほど、ハトリは器用ではない。体に衝撃が来るのを覚悟し、ぎゅっと固く目を瞑る。 しかし、衝撃は来ない。代わりに、あたたかい何かがハトリの腕に触れた。 「あっぶなー」 恐る恐る目を開ければ、床ははるか遠くにある。首を巡らせれば、そこにいたのは憧れの人。彼は柔らかく微笑んで、ぐいっとハトリの腕を引いた。 「天国」 ひかりの声に、些かの怒気。天国は微笑んだまま、ハトリの腕を掴む手を彼女の肩に回す。 「俺、ハトリが好きだ」 はっと、ハトリとひかりの目が見開かれる。ハトリに至っては、耳まで赤くなっていく。それを見て天国は満足そうに口角を釣り上げる。そして、ひかりに視線を移した。 「お前からハトリを奪いたい」 ひかりは天国の金色を見据える。その奥の奥、見えた色に、ひかりは瞠目した。そして…にやりと笑う。 「上等だ」 金と銀が交錯する。 「今のお前となら張り合える」 そして、ひかりは天国の手を払い、ハトリの体をその腕の中に収める。 「奪えるもんなら奪ってみろよ、天国。……いや、"天売匠"」 「おっすー、匠」 香衣は楽屋に現れた相方を見て、軽い声をかける。 「おう、香衣。枯羽もいたんだな」 「あぁ」 楽屋の一番奥の椅子に座る枯羽は、顔を上げずに声だけで応じる。香衣は椅子から立ち上がり、入口前で立ち竦む彼の肩に腕を回して彼の顔を覗き込んだ。 「想い人に恋人ができたにも関わらずアタックしちゃうなんて、エゴイスティックだねぇ、匠らしくない。かつての聖人君子っぷりはどこへやら」 「いいんだ」 ぱしっと軽い仕草で香衣の手を払い、着てきたジャケットを脱いでハンガーに掛ける。手を動かしながら、彼は口を開く。 「俺はアイドルだけど、アイドルでしかない。結局はアイドル止まりの、一人の男、一人の人間でしかないのさ。聖人君子なんて、ありえないことだった」 それに、と彼の言葉は続く。 「ワガママなのが、人間でしょ」 [ back to top ] |