頭が重い。何もする気が起こらない。その時、携帯のバイブが震えた。見れば、枯羽。着拒。しばらくして、また着信。着拒。それから、俺は気付く。着拒してるってことは、俺が起きてるって伝えてるようなもんじゃんか。しまった、そう思った時に、また着信。しばらくバイブが震えるのを聞いたのち、俺は電話に出た。 「……………………………」 『匠?』 何を言えばいいのか分からなくて、黙ってしまっていた。けど、電話の向こうで枯羽の声がした。なんとなく、ほっとした。 『おい匠、どうした?』 ……なんだろう、枯羽にどうしたって聞かれると、なんか、変な感じする。「別に、何でもないよ、大丈夫」って、いつもなら、というか、他の人にはそう言うのに、枯羽にどうしたって聞かれたら、言えない。いつもと同じ言葉を他の人に言うように言えばいいのに、何かが喉元につっかえてる。枯羽には、嘘をつけないような気がする。……あれ? …俺、嘘つこうとした?…俺、他の人に、嘘ついてた? 『匠?』 枯羽の声に、我に返る。…こいつの声に、なんか、有無を言わせない何かがある、気がする。…分かんないけど、でも、 「……あのさぁ、枯羽」 やっと、言えた気がする。 とにかく、思いつく限りのことを並べ立てる。 ハトリが幸せではなかったこと。俺のせいで不幸になったこと。だから俺が幸せにしてやろうって思ったのに、ハトリは俺のところに来なかったこと。 ハトリという目の前にいる一人の女の子が幸せではなかったってことは、俺の知らないところで幸せじゃない人がいるのかもしれない。それが不安。怖い。あともうひとつ、なんか感情があるけど、名前が分からない。腹の底がめらめらしてて、熱くて、しんどい。名前の知らない感情。 あぁ、やっと言えた。俺のもやもや。思いつく順番に話したから、脈絡も何もあったもんじゃないけど、でも、枯羽はたぶん聞いてくれて、そして、 『匠は悔しいんだろ』 枯羽の言葉が、続いた。 そうか、俺、悔しいのか。 『けど、匠が悔しがってるそれって、たぶん、すごく難しいこと』 …難しいこと? 『それたぶん、世界中の子供達が幸せになるにはどうしたらいいかってことくらい、難しくて、答えのない話』 なんとなく、枯羽の喩えが分かる。けど、妙に実感が湧かない。それを察してか、枯羽は『えーとな』と、さらに言葉を砕いてくれる。 『世界から飢えと貧困がなくなればいいのにってくらい、途方のない話』 …成る程、そりゃ難しい。けど、みんなを幸せにしたいっていう俺の考えって、そこまで難しい? 『そんな難しいこと考えながらアイドルしてたの?』 …あれ。 「違うんじゃない?」 ……ステージでの記憶が、あやふやだ。ステージに立った時の高揚感の所為だと思うんだけど、…言われてみれば、確かに枯羽の言う通り、違う気がする。 …俺、ステージに上がった時、何考えてたっけ? 「……お前は?お前は、何を思ってステージに立ってた?」 聞き返す。枯羽と同じ考えならばたぶんそこで思い出せるだろうし、違う考えなら、そこまで止まり。思い出すのみ。 『俺は単純』 けど、枯羽から即答が返ってきた。 『ライブに来てくれる人たち、俺らが出る音楽番組を見てくれる人たち、俺らを応援してくれる人たち。そんな人たちが、幸福感を味わってくれたらそれでいい』 ………。 『その人が必ずしも幸せかどうかは限らないけど、でも、その人が楽しかった、ユートピア大好き、って思ってくれたら、幸せだなぁって感じてくれたら、その人の心はきっと、満ち足りてる』 幸福感。満ち足りてる。 『俺らを応援してくれる子が、俺らのライブを見て…、…例えば、その子が高校生だとしよう。ライブが終わって家に帰って、親に、楽しかったよって言うだけで、娘が楽しそうだな、幸せそうだなって、親も幸せな気分になれるじゃん?』 幸せな、気分。 『そんなささやかな幸せを繋げていくのが、アイドルなんじゃない?』 …幸せを繋ぐのが、俺たち? 『幸せにしようって考えるからしんどいんだよ』 香衣の言葉が、ひかりの言葉が、斎の言葉が俺の中で綯い交ぜになって、枯羽の言葉でひとつにまとまっていくような、そんな感じがした。 『一瞬のことかもしれないけど、でもその一瞬が幸せだったって"感じて"もらうだけで、十分なんじゃないの?』 枯羽の言葉は、推量や仮定を含んでいて、確信的ではない。けど、その危うさが、俺の中に枯羽の言葉を染み込ませてくれる。これは枯羽の考えでしかないという、選択の余地。決して押し付けられないもの。ちゃんと言葉の意味を吟味する余裕を与えてくれる。 『幸せに"なる"のと幸せを"感じる"、似ているようで、違うと思う、俺は。どうすれば幸せになれるかとか、考えたり、探っていくのはその人次第。匠が決めたりすることじゃない、と、思う』 [ back to top ] |