さっきひかりの頬を殴った感覚がしっかりと手に残ってる。嫌だ、気持ち悪い。人を殴る感覚なんか感じたくなかった。 「たっくん?」 耳に慣れた声がした。声が聞こえた方を見れば、そこにいたのは幼馴染の斎。…だから、たっくんって呼ぶなって。いつもならそう言い返せるのに、今はもうそれどころじゃない。俺は斎を見るのをやめて、部屋の扉を開ける。 「待てよたっくん」 いつの間にか斎は俺の近くまで来ていて、扉を掴んでいた。 「なんか変だよ、たっくん」 …俺が、変。 「なんでそんな暗い顔してんのさ」 そう言う斎の顔は……なんか、泣きそうだった。でも、その理由を俺は知らない。 「ほっといてくれよ」 扉を閉めようとして、動かない。斎が扉を掴んだまま離さない。斎の目が俺を見る。睨まれているようにすら感じた。なんだか胸の奥がもやもやする。 「なんなんだよ、たっくん」 「…別に、なんでもないよ」 「うそだ」 ふと、俺の手の力が緩まって、斎の力によって扉が再び大きく開け放たれた。なんで力が抜けたのか、よく分からない。けど、斎の目がそうさせている。まっすぐな目。もやもやする。 「たっくんはそうやってすぐになんでもないって言う。それは知ってる。けど、そんな顔で言うたっくんは初めて見た」 どんな顔してるっつうんだよ。 「なんでそんな鬱陶しそうな顔してんの?」 ……そうか、俺、斎が鬱陶しいんだ。 「うるせぇなぁ」 気付いた時には、言葉が出てた。正直、驚いた。そうか、俺、斎の声をうるさいって思ってる。斎は、信じられないものを見るような目で俺を見てる。さっきのひかりと同じ目だ。 「……たっくんは」 斎の顔が伏せられる。彼女の顔が見えなくなる。けど、声がなんだか揺れていた。 「たっくんはどこまでもまっすぐで、まっすぐすぎるから、馬鹿で滑稽にしか見えなかっただけの善人だと思ってたのに」 俺、そんなふうに見られてたのか。なんだか、斎の言葉がすっと胸の奥に落ちてくる。納得してる、俺がいる。 「幼馴染ひとり幸せにできないくせに、他のみんなを幸せになんてできるわけねぇだろ」 幸せ。幸せにできない。その言葉が、俺の中の何かが弾けた。 「お前に何が分かるんだよ」 俺、こんな低い声出るんだ。自分のことなのに、客観的に冷静に見てる俺がいる。けど、胸の奥にずくずくと熱いものがこみ上げてくるのだけは実感した。熱い。痛い。気持ち悪い。 「分かんねぇけどたっくんが変わっちまったことは分かる!」 「知った風な口聞くな!」 斎の手を払って、無理やり扉を閉める。鍵をかけて、扉に背を預けて、ずるずると座り込む。 「…俺の知ってるたっくんはそんなんじゃない」 扉の向こう、斎の声。 「俺らが好きな天国の島は、今のたっくんじゃない!」 …あったま来た。 「俺みたいなのが天国の島で悪かったな!」 扉越しに叫んでやる。斎の声が消える。やっと訪れた静寂。なんだか心地良い。けど、なんでだ、なんか、もの寂しい。 「……この、偽善者!」 斎の言葉が、耳に、胸に刺さった。走り去る足音が聞こえる。遠くなるその音に耳を澄ませて、俺は、そこでもう、考えるのをやめた。 [ back to top ] |