し色の花「菫也さん」 鼓膜を震わせる愛しい彼女の声。はこ、そう呼びかけようとして、声が出ないことに気付く。そもそも、周りはひたすらに暗い。自分が立っているのか座っているのかすら分からない。しかし、彼女の声だけは鮮明に響いている。 「ねぇ菫也さん」 今度は耳元でさらにはっきりと聞こえた。頬にひやりとした感触。何度も触れた彼女の手だとすぐに分かった。 「愛していたのに」 そっと冷えた手が頬をなぞる。そして、べっとりと何か液体が付着するのを感じた。手が離れる。 あぁ、まただ。毎晩のことだ。分かってはいるのに、どうか、もうやめてくれ。 「ねぇ菫也さん、私とても苦しかったわ」 目の前に揺れる灰色が浮かび上がる。血の涙を流す彼女は、彼に手を伸ばす。喉元を捉える。そして、 「楽に逝かせてくれると言ったくせに」 「!!?」 飛び起きた。 乱れた呼吸、嫌な汗。悪夢だった。彼女が死んだ日から、彼女が恨みがましい目に菫也を映しながら死んでいったあの日から毎晩見ていた。 「……僕は、」 悍ましい我が家のしきたりだと思う。そこまでして美を継承していく必要はあるのだろうか。しかし、そのしきたりを破ることは菫也にはできなかった。彼の中に流れる血がそうさせているのかもしれない、と落ち着きを取り戻しつつある頭で考える。 「父上?」 ふと、十二になったばかりの娘が菫也の部屋に入ってきた。娘の面影は、明らかに彼女のものだ。少しきつい顔立ち。吊り上がった目。愛しいはずなのに、今は何故か恐ろしい。 それでも菫也は逃げるつもりはなかった。荊華院の為に流される血が少しでも安らかであれと彼は願った。微笑み、娘を手招く。そして近寄ってきた娘の頭に手を置いた。 「お前の大事なあの子には、いたい思いをさせないよ。そしてお前には、かなしい思いはさせないよ」 そう言って首を巡らせる彼の視線の先には、眩いほどに白い百合。 [ back to top ] |