恨めども憎めども、愛「どうしても今日、死ななければなりませんか」 ある秋の子の刻。 蒼はその腕に赤子を抱き締めながら、荊華院の従者達を睨み据えていた。 「薊利様は今日、二つの歳になられた。即ち、貴女様の処分も今日なのです」 「それは承知の上です!」 従者達の言葉を跳ね除けるように、蒼はぴしゃりと声を上げる。 荊華院の美を存続させる為だけに存在する季朽。次代の荊華院が生まれれば、荊華院現当主の番いたる季朽にもはや用はない。蒼自身、それは痛感している。 「ですが、子の成長とは母の力によるところが大きいとは思いませんか。わたくしは、薊利を置いて逝きたくはないのです!」 母として、この子を置いて逝けません。そう言う彼女の蒼い目には、確かに強さがあった。従者達はその蒼色に圧倒され、少し後ずさる。しかし、初老の男が一歩前へ出て、蒼から赤子を取り上げた。 「や、やめなさい、返せ、薊利を返しなさい!」 眠ったはずの赤子は目を覚まし、泣き始める。赤子の泣き声を聞いて、蒼の表情はみるみる歪んでいく。涙が滲む目を剥き初老の男に掴みかかろうとすると、別の男にその腕を掴まれ、また別の男にも掴まれ、羽交い締めにされた。 「は、離しなさい!けいり、薊利ぃ!薊利を、薊利を返して!」 拘束されても尚暴れる蒼の頭を掴み、別の男が透明な液体の詰まった瓶の栓を開ける。それが何なのかを察した蒼は瞠目するが、負けじと男を睨み、唇を噛んで口を噤んだ。それでも口周りの力が腕の力に勝てるはずもなく、顎を掴まれ、口に指を突っ込まれてしまった。食いちぎらんばかりに指を噛むが、男の爪が口内を引っ掻く。蒼の目に浮かぶのは、痛みから来た涙か、生理的な涙か、或いは悔しさから来た涙か。 口の中にどろりとした何かが入ってきた。指の隙間から流し込まれたあの液体だった。飲み込むまいとするが、掴まれた顎を上に向けられ、思わず嚥下してしまった。…してしまった。 男達の拘束が解かれ、蒼の体が床に倒れ伏す。何とか首だけ起こして、そこで蒼は目を見開いた。そしてみるみるうちにその目に涙が浮かび、頬を濡らす。 「蓬莱さま、」 腕を伸ばす。 「ほうらい、さま、」 伸ばされた手が、虚空を掴む。 「あいして、おります」 ぱたりと、細い腕が床に落ちた。 「…当主による番いの看取りは、禁止ですよ」 傍らに控える少女は憂いに目を細め、妻の亡骸の前に膝をつく当主を見下ろす。 「俺は今日がこいつの処分の日だと聞いていなかった」 「申し訳ありません、こちらの不手際です」 自分に伸ばされた手。掴む寸前に力尽きたその手を握る彼の表情は見えない。 「こいつは、こんな俺を愛してくれていたらしい」 「今更よ、蓬莱」 少女の傍らに、別の女が立っていた。赤い目に尖った耳を持つ彼女が話すと、時折鋭い歯が垣間見える。 「蒼はあなたを心から愛していたのよ、蓬莱」 そうか、と呟くような調子で言いながら彼は彼女の体を抱き起こす。生気のない蒼い目を閉ざしてやり、口元を濡らす血を拭ってやる。 「…美しい女だった」 いつだって凛としていた彼の声が震えているのを、二人の少女は初めて聞いた。 [ back to top ] |