さくらいろの未来鎖国していた日本が明治時代に開国したことにより、国内にはさまざまなものが流入した。技術、文化など、細かく類していけば数え切れないほどになる。日本人にとっては受け入れがたいものも多かったが、和と洋を見事に折衷させ、新たな道を確立させた家があった。……華道の家元、かの荊華院である。 平屋の豪奢な屋敷の長い廊下で、軽やかな足音が走る。足袋なのに滑ることもなく確実に一歩一歩を跳び、彼女は広間の扉を開いた。 「はうっ」 その瞬間、彼女の顔面に風呂敷が飛来した。慌ててその桃色の布を引き剥がすと、広間の中から声がした。 「あぁ、ごめんよ私の可愛い美桜!うっかり手が滑って布が飛んで行ってしまった」 「もう、薊利お父様ったら!」 美桜と呼ばれた彼女は桃色の瞳を爛々と輝かせ、天然の巻き毛の毛先を胸の前で揺らす。対する薊利と呼ばれた初老の男はへにゃりと目尻を和らげて美桜を見ていた。 「あぁ今日もかわいいね美桜!お前は歴代荊華院の女の中で最も美しいに違いない!」 「言い過ぎだよお父様!荊華院はみんなお美しいの!勿論、お父様も美しい方だよ!」 なんて出来た娘なんだ!と薊利は目元を手で覆ってその場に崩れ落ちる。美桜は着物の袖で口元を隠しながら頬を染めて微笑み、そしてばっと両手を広げてみせた。 「お父様、私今日、港に行ってくる!」 「そうかいそうかい港……は?い、いや、それはだめだ!」 「どうして?」 「異人ばかりじゃないか、お前のようなかわいい娘をそんなところに連れて行くことなんて私にはできない!」 開国したばかりの日本において、特に港は異国の人間達の出入りの場になっている。異人は野蛮。そう思っている薊利は、そんな場所に向かおうとしている娘の気を知ることができなかった。父の心配に対し、美桜は笑みを絶やさない。 「西洋のお花をもらいに行くの!ミスター・スミスと約束してるんだ!」 言いながら美桜が片手を上げると、右耳に赤い耳飾りをした着物の少女が美桜の傍らに現れた。荊華院の女に仕える侍女だ。彼女は懐から紙を取り出し、美桜に手渡す。よく見れば和紙ではなく、固そうなしっかりした…西洋の羊皮紙だった。 「…うん、今日の申の刻に会う約束…あぁ!もう時間だ!お父様、行ってくるね!行くよ巳子!」 「御意」 「誰なんだいそのミスター・スミスって……あぁもう!美桜!」 父の制止も虚しく、娘は駆け出して行った。侍女がついて行ったから危害を加えられたりすることはないだろうが、やはり心配してしまうのが親心である。溜息をつきながら廊下に歩み出て娘が向かった方向を見つめていると、ふと曲がり角に飾っている花が変わっていることに気付いた。近付いてよく見ると、見慣れない花が中央に据えられている。それは、開国と共に西洋からこの国に齎された花だった。確か……アネモネ、と言っただろうか。 薊利は息を飲んだ。日本独特の文化である華道の作品において、異質なものであるはずの西洋の花が馴染んでいる。それはひとつの作品だった。西洋を忌避する日本人が見ても、この作品は素晴らしいと万人が賞賛するであろう見事なものだった。 …もしかしたら娘は、この荊華院に新たな風を吹き込むのかもしれない。鮮やかに咲き誇るアネモネを見つめ、薊利は来たる娘の時代に思いを馳せていた。 [ back to top ] |