荊の華と朽ちた季節 | ナノ

折り重なる死体の頂点で


流沙…否、流人が荊華院の屋敷にやって来た。今夜、荊華院が世話になっている家の当主と面会するからだ。色素の抜け落ちた白髪、血が通っていないのではと思わせるほどに病的な白い肌。とてもじゃないが由緒正しき荊華院の娘の婿として表に出せたものではない。ということで、荊華院の娘、薔薇戦争…否、薔子の母であり荊華院現当主である桐乃に着飾ってもらう為に、流人は今日ここに来た。

「流の子、よく来ましたね」

義母にあたる桐乃に出迎えられ、流人は屋敷に入る。随分と慣れたもので、この広い屋敷の勝手もよく知っている。故に桐乃は流人を招き入れた後「呼びに行きますから、部屋で待っていてください」と言い残して姿を消した。
流人の為に用意された荊華院の屋敷での部屋。流人個人の部屋と薔子との部屋だった。とにかく薔子に会いたい一心で薔子との部屋に急ぐ。
その時、普段は開いていない扉が開いていることに気付き、流人は足を止めた。薄暗い部屋だった。覗き込めば、数多の墓碑銘があった。そして、一番手前の墓碑銘の前で膝をつき、手を合わせている白髪の男がいた。

「……おや、」

振り返る男の顔を見て流人は目を見開いた。数年前、首相を三代歴任し、景気を回復させた男だった。テレビで何度も見たことがある。"史上最高の総理大臣"として。
その男こそ、荊華院薔子の祖父であり、荊華院桐乃の父であり、先代総理大臣の荊華院柊だった。

「君が風川流人くんかい」

「……え、あ、は、はい」

つい見惚れてしまい返答が遅れる。薔子と桐乃の面影があるからだろうか、年老いても尚女性的な柔らかい美しさを持つ老人だった。かつては美青年だったのだろう、彼の眼差しは流人にそう思わせた。
彼は老体をものともしない軽々とした様子で腰を上げて流人に歩み寄り、満面の笑みを浮かべて流人の肩に手を置いた。

「いやぁ、いい男だな!薔子が惚れるのも分かる!」

流人はきょとんとしたまま。史上最高の総理大臣と呼ばれる人にいい男だと言われ、そうすぐに反応できるはずがなかった。

「そうか、薔子とはもう籍を入れたんだな、後は式か…結婚式なぁ、どうするかなぁ…」

荊華院は今まで一度も大っぴらな結婚式を挙げたことがないからなぁ。そんな柊の言葉に流人は瞠目し、顔を伏せた。荊華院が抱える真っ黒な歴史を知っているから。その重い歴史を知るからこそ、柊の言葉の意味がよく分かった。
流人が感じ取るものを悟ったのか、柊はもう一度流人の肩に手を置いて顔を上げさせる。

「俺はね、荊華院の為に血を流してくれた者達に報告しに来たんだよ」

柊がゆっくりと視線を移す。それにつられて流人も部屋の中を見る。そこにあるのはやはり墓碑銘ばかりで、しかし流人はようやく理解した。

「……季朽の、」

「その通り」

そうして柊は、最初に流人が見た時とは違う、手前から二つ目の墓碑銘に向かう。流人もその墓碑銘の前に立つと、そこには遺影があった。肩の上で切り揃えられた髪の、泣き黒子が特徴的な女性だった。少女と呼んでも何ら差し支えないくらいに、その遺影の女性は愛らしく美しかった。

「俺の妻だよ」

妻だと聞いて流人は目を凝らして遺影をよく見る。確かに、桐乃によく似ている。桐乃を幼くした感じ、と言えば明確かもしれない。

「彼女を含め、多くの人間が荊華院の美の為に死んでいった。俺達は彼女達を愛していたけど、家の掟を破る勇気はなかった。情けないね。だから俺達や彼女達は、薔子と君のような二人を、長い間待ち侘びていたんだよ」

遺影の女性が頷いたような気がした。美への執着から成る悍ましい歴史の終止符が打たれたことに、流人は胸の奥がじんと痛むのを感じた。

「薔子に掟を破らせてくれてありがとう」

目の奥が熱くなるのを感じた時には、視界に映る柊の姿が滲んで見えた。



Title by Discolo