荊の華と朽ちた季節 | ナノ

荊の華の家と神の家


リムジンから降りると、美しい顔をした青年を筆頭に黒いスーツを着た大勢の人間に出迎えられた。
しかし、薔子は言い知れぬ違和感を感じ、ドレスの胸元を掻き抱く。…果たしていくつ、この中に人でないものが紛れ込んでいるのだろう。数を把握することは出来ないが、少なくとも、薔子と桐乃を誘導してくれるこの灰色を宿した美しい青年は人間ではない。母が敬虔な態度を示す家でなければ、すぐにでも刀を抜いて問い詰めたいところだ。
……しかし、何だろう、この感じは。薔子はごくりと喉を鳴らしながら、青年から漂う雰囲気を吟味する。どこかで似た感覚を感じたことがある気がするが、思い出せない。落ち着かず、所在なげに視線を彷徨わせていると、青年がある扉の前で立ち止まり、ノックする。


「御当主、荊華院さまがお目見えです」


返事はない。そのまま青年は扉を開き、荊の華の女達を迎え入れた。

そして、室内にひとりの女性がいた。神の家の女王、と桐乃が言っていたのを思い出す。その女性がこの家の…神の家"櫻里"の当主なのだろう。そして驚くことに、たった今薔子達を迎えてくれた青年と同じ顔をしていた。双子なのだろうか、と思考を巡らせながら、母と共に当主の正面に回る。そして、その瞬間。
…思い出した。あの青年、そして今目の前にいる当主から感じるものが何であるのか。生の摂理を無視した、あの憎らしい生ける殺戮化学兵器の少年と同じ……即ち、人間から逸脱した化物を前にした感覚だった。
当主の灰色が薔子に据えられる。慈愛に満ちた視線の中に包括された悍ましさを、薔子は見逃さなかった。
普段なら危機を察した本能が…正確には"薔薇戦争"の力が彼女に刀を抜かせるだろう。しかし、神の家の女王の、全てを包み込む全知全能の母たる神にも似た、抽象的で不明瞭なものへの畏怖の念が薔子の全身を支配する。そして彼女は遂にその膝を折り、女王の前に首を垂れた。


「月世さま、お戯れを」


薔子とは対照的に、桐乃は薄く笑って当主に頭を下げる。当主が薔子から視線を外して桐乃に微笑むと、薔子はようやく見えない圧力から解放された。


「お久しぶりです、月世さま。そろそろお花が枯れてしまう頃ですので、新しいものを持って参りました」

「いつもありがとうございます、桐乃さま。桐乃さまに生けて頂いたお花にはいつも癒されます」

「ありがたいお言葉、恐縮です。…あぁ、申し遅れましたが、こちら、娘の薔子です。薔薇の子と書いて薔子と」


母と当主の会話を聞いていただけの薔子はびくりと肩を揺らし、当主に深々と頭を下げた。くす、と当主が笑う声が聞こえる。


「これからどうぞよろしくお願いしますね、薔子さん」

「……よろしくお願い致します、御当主様」


顔を上げ、再び当主の灰色と薔子の紅が交錯する。しかし、先程のように体を縛られることはなかった。慣れたのか、或いは先程のあれは母の言うように、当主の戯れだったのか。
胸の奥の蟠りに唇を噛み締めていると、桐乃は上質な和紙に包んだ花々を当主の前に広げながら娘を顧みた。


「ここからは櫻里様とのお仕事の話になります。薔子、下がりなさい」


その言葉ののち、あの青年が扉を開く。薔子はもう一度当主に一礼し、青年と共に退室した。



「楽にしてくれていいよ、お嬢さん」


青年に言われ、薔子ははっとする。どうやら肩に力が入っていたらしい。みっともない、と薔子は自嘲し、息を吐いて何とか体の力を抜いた。
薔子をどこかに連れて行く訳でもなく、青年は扉の前で立ち竦む薔子の隣に立っていた。ちらりと彼の方を見れば、灰色と出会う。


「……あ、の、櫻里さま、」

「楽にしていいよって」

「…楽にしたら、失礼なことを言ってしまう……ます」

「俺は当主じゃないから大丈夫だよ。…当主と同じ顔だけど」


心臓に虫が這うような感覚に襲われ、思わず腰に差した刀を握り締める。鉄の冷たさが、少しばかり安堵をもたらしてくれた。


「……あなたと御当主様から、人でない気配がしたわ」


素人から見ても失礼極まりない第一声。さすがの薔子も自覚はあったようで、恐る恐る青年を見た。そして…驚愕と殺気が秘められた灰色に囚われてしまった。


「っ」


反射的に鞘と柄に手をかけ、身構える。しかし、彼の右手に右手を掴まれた。びくともしない。刀を抜けない。
そして彼の空いた左手が薔子に伸びる。その手は薔子の下腹部、否、脚へと向かい、ドレスのスカートの中へ。冷気が腿を掠め、薔子の体がびくつく。そして一瞬後には、彼の手に拳銃が握られていた。


「こんな物騒なもの持ってちゃいけないよ、お嬢さん」


刀を握る手も解放されたが、薔子は動けない。彼は拳銃をあらゆる方向から観察し、「驚かせてごめんね」と彼女の方に向き直ると。
彼女の目から、雫が零れた。


「………お嬢さん……?」

「……え、あ、な、泣いてなんかないわ!ちょっと目にゴミが、」


言いながら薔子はハンカチを取り出し目元を拭う。そして、先程の自分を振り返った。

鳥籠に囲われていた乙女は力を手にし、怖いものも何もないまま籠の外に解き放たれた。そして今、初めて男への恐怖を覚えた。それと同時に、逞しさを感じた。恐怖する反面、逞しく強い男に守られたいという、女としての自分がいることに気付いた。
荊華院の女は、恋を知らずに、己の女を知らずに生きるのです。そう母が言っていたのを覚えている。
しかし、今、確かに彼女は自分の中の女を知った。守られたい自分が眠っていた気がした。


「………ねぇ、櫻里様」


ハンカチをしまい、彼の方を見る。いきなり泣き出して、迷惑を被っただろう、薔子はまず小さく謝り、そして彼の灰色を見つめた。
女としての自分に、もっと触れてみたい気がした。


「……また、あなた様とお話ししにお邪魔してもよろしいかしら」


彼と何かしらの形で関わっていけば、女としての自分が見えてくるかもしれない。
恋ではないのは何と無く理解していた。そう、例えば父とは彼のような人のことを言うのではないだろうか。父を知らない薔子は、自分に男への恐怖を与えてくれた彼をそう思った。
彼女の申し出に、彼は微笑んで彼女の手を取る。そしてその甲に口付けを落とし、彼女の紅を見た。


「……いつでもいらっしゃい、お嬢さん」


彼の言葉に、薔子はここに来てようやく心の底からの笑みを漏らした。



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泉さま宅「アズライトの心象」とコラボさせていただきました!