両親は二人とも仕事で世界各地を飛び回っている。だから、この広い屋敷にはローザ一人だった。否、それは彼が目覚めるまでの話である。今は彼と二人。毎晩血を与える代わりに、彼はいつもそばにいてくれた。 「大丈夫?ローザ」 「…大丈夫よ、慣れてきたわ」 血を吸われると意識が朦朧とするが、随分慣れた。それよりも、吸血する度にかけられるキューズの心配の言葉の方がずっと嬉しかった。雨のように降ってくる優しいキスの方が、ずっとずっと嬉しかった。 …これが、愛するってことなのかな。彼に抱き締められ、心に広がる充足感に浸っていると、部屋の電話のベルが鳴った。普段は鳴らずの電話と呼ばれる程度には何の役にも立たない電話が鳴ったので、ローザは驚いて受話器を取るのを躊躇う。そこでキューズがベッドから退き席を外したのを見て、ローザは受話器を取った。 「………もしもし、」 『ローザ!』 野太い声だった。久しぶりに聞いた、父の声だった。父がこうして電話をしてくることなど今まで一度もなかった。娘としての嬉しさと、今更だという諦めとがローザの胸中に湧き上がる。 『ローザ、一人か?』 「……いいえ」 『目覚めたのか!』 父の焦った声にローザは息を飲んだ。父の反応は、キューズの存在を知っていたことを示唆しているようだった。 『お前、奴と一緒にいるのか!』 「……えぇ」 『血を飲ませたのか?!』 「……えぇ」 いつから一緒にいる、血は毎日飲ませてるのか、父の質問攻めに、ローザは狼狽えながらも応えていく。 『血を与えるな!奴が人間になった暁には、奴は本来の国に戻ってしまうだろう、お前は騙されてるんだ!奴が人間になれば、ウォーブローは終わりだ、だから、絶対に血をやるな!』 いいか、約束だぞ、そんな言葉を最後に電話が途絶えた。受話器が手から滑り落ちる。席を外していたキューズが戻ってくる。ローザは彼を見た。あの青い目の底を覗き込むように見つめた。 「…どういうこと、なの」 父の反応をキューズに話す。最初こそいつものように微笑んでいたキューズだが、徐々に真顔になっていく。ローザが全て話し終えたところで、キューズは顔を伏せた。 「僕は、ジパングの貴族に使役される化け物なんだ」 伏せたまま口を開く。ローザは彼の揺れる白銀の髪を見つめている。 「三百年前、その貴族の護衛にこの国に来た。そして、君の祖先に捕らえられ、地下に繋がれた。すると、君の一族が突然繁栄し始めた。そしてそれは今も尚続いてる。君の一族にとって、僕は神なんだよ」 …かみ、ローザの艶のある声が漏れる。 「外の世界のことは化け物の血を媒介して伝わる。僕以外みんな人間になって死んだ。だから僕も早く人間にならなきゃいけなかった。そして、あるべき国に帰って、仕えるべき人の下に戻らなきゃいけなかった」 だから、とキューズが顔を上げる。その青い目に映る感情が何であるのか、ローザには想像もつかなかった。ただ、悲哀のようなものであることだけは分かった。 「神を逃がしたらこの家は滅ぶかもしれない、君のお父さんはそれが心配なんだと思うよ」 彼は人間になる為にローザの血を啜っていた。彼が人間になるということは、彼が元の世界に帰るということだった。 「…私を、利用してたのね」 そういう風に捉えるしかなかった。卑屈な考え方しかできない自分が悔しいが、不思議と怒りはなかった。彼への不信と共に、彼の愛が偽りだったことの哀しみの方が大きかった。 今度はローザが顔を伏せる番だった。涙が零れた。持ち上げておいて落とされたようや気分だった。裏切られた、としか思えなかった。 すると、キューズが彼女の肩を掴む。爪が食い込む程強く。 「違う!」 はっとローザは顔を上げた。彼の大声を初めて聞いた。彼の青と交錯した。彼の青は、真摯な色をしていた。それでいて、縋りつくようでもあった。 「…正直に言おう。最初は利用しようとしてた。けど、いつの間にか本当に、僕は君を好きになってた」 ローザの頬に伝う涙を拭う。キューズも悲しそうに眉根を下げ、そして彼女の体を抱き締めた。 「人間になれなくてもいい。僕は君と生きていきたい」 腕の中でローザが動いた。首を横に振っていた。…どうか、お願い、とキューズは嗚咽混じりの声で呟く。 「…私……あなたを信じられないかもしれない…」 ローザの声も震えていた。彼を信じていいのか分からないけれど、愛されたいけれど、愛していいのか分からないけれど、否定的な考えしか浮かばない。すると、ローザを抱き締めるキューズの腕に力がこもるのを感じた。 「……もう血は飲まない。それでも、君のそばにいさせて。…僕の気持ちを、分かって欲しい」 ひとりになるのは、もう嫌なんだ。彼が言う。私も嫌よ。彼女も返す。お互いに同じ不安を抱いているからこそ、どうしても歩み寄ることができなかった。 Title by Discolo [ back to top ] |