「おはよう、ローザ」 甘い声がしたと思えば、鼻の先に柔らかな感触。それを昨夜唇に感じたことを思い出し、ローザの意識は覚醒した。飛び起き、壁際まで後退る。 「あ、あなた、き、吸血鬼、」 昨夜、目の前にいる白、キューズに首筋を噛まれて血を啜られた記憶が確かに残っている。慌てて首筋に手を添えると、固い何かに触れた。瘡蓋だった。やはりあれは夢ではない、と確信した。 ローザが怯え始めるのを見てキューズは体を起こし、優しく微笑んだ。そして、首を横に振った。 「僕は吸血鬼じゃない。けれど、人間でもない」 彼が口角を上げれば、牙のような歯が見えた。それにまた慄くローザだが、何とか平静を保ってキューズの目を見た。彼女にとっては恐怖よりも彼が何者かを知ることの方が優先すべきことらしい。そんな彼女の意志を察し、キューズはふっと笑みを零す。そして目を伏せ、色素の薄い唇を開いた。 「…僕は名もない化け物の一族なんだ。僕が愛し、僕を愛してくれる…相思相愛の人の血を十月十日啜ることで初めて人間になれる、そんな化け物」 「……血を啜って人間になれる、なんて、そんな、」 初めて聞いた話だった。そんな化け物がこの世に存在するのか、疑ったが彼の言葉に後ろめたさは感じられなかった。「…でも、血を飲むなら吸血鬼じゃない」いろんなことで頭がいっぱいのローザは、やっとのことで言葉を紡ぐ。 「確かにそうかもしれないね。けど僕らには十字架や塩や日光は関係ないよ。血を飲まなくても生きられるしね。血を飲むのは生命活動ではなく、人間になる為の手段だから」 言いながらキューズはローザの首に手を伸ばす。冷たい手にびくりと肩を震わせたが、彼の骨張った指が瘡蓋を慈しむように撫でているのに気付き、ふっと肩の力を抜く。キューズは続ける。 「僕の一族はみんな人間になって人間として死んで行った。僕が最後の一人だよ。こんな忌々しい一族は早く滅ぼすべきだ、だから僕は人間にならなくちゃいけない」 「……あなたが人間になっても、誰かと結ばれて子供を産ませればその子供は化け物なんじゃないの?」 そうだとすれば、彼らの化け物の血は絶えない。しかしローザの暗鬱な考えに反してキューズはぷっと噴き出した。 「今の僕がローザに孕ませたらそれは化け物になるね。けど、人間になってからなら人間だよ。この血を終わらせることができる」 彼の言葉裏に秘められた意味に気付き、ローザの顔に熱が集まる。ふっと顔を背けると、彼の手が頬に触れた。そして、正面に向かされる。深い青い目に囚われる。 「愛してくれるよね?」 語調は優しいが、目に宿った光はローザを逃がすことを許すまいとしていた。喉が干上がる。掠れた声が漏れた。その時、キューズに引っ張られ、彼の胸に倒れ込んだ。そのまま背中に腕を回され、本当に逃げられなくなった。 「僕は君に愛されたい。僕が君を愛してるから」 甘美な言葉がローザを包む。…愛なんて、今まで誰からももらったことがなかったっけ。父様も母様も、私を愛してはくれなかったわね。あぁ、彼がたくさん愛を与えてくれるって分かってるから、私は彼に全てを委ねたくなるのね。キューズのシャツを握り締め、ローザは唇を動かす。 「…私、あなたを愛せるかな」 愛を知らないのに、愛せるのだろうか。喜劇のヒロインのように、恋人にひたむきに尽くせるのだろうか。ローザの不安は、彼女がキューズを愛そうとしていることの表れでもある。それを理解した上で、キューズはローザの髪を撫でた。 「今はどうなの?」 彼の声は、ただひたすらに甘かった。ローザは顔を上げ、自分を見下ろすキューズを見つめる。 「……嫌いじゃないわ」 …十分だよ、と耳元で囁かれたような気がした。そう思った瞬間には、折れそうなほどきつく抱き締められていた。 「なら大丈夫。…二ヶ月で君に僕を愛させてみせるよ」 だから、と言う言葉と共に漏れた吐息が首筋にかかる。ローザは唇を噛み、キューズの背に腕を回した。絶えずたたえていた笑みを深め、キューズはローザの首筋に舌を這わせ、そして、噛みついた。 「……っ…!」 血が流れ出るのを感じる。意識が遠のく。しかしキューズのシャツをきつく握り締め、何とか踏み止まった。 吸血を終え、キューズはローザから体を離す。ローザは虚ろな目をしたままキューズのシャツから手を離さない。 「……大丈夫…?」 「…大丈夫……なんだか少し…気持ち良くなってしまった気がするわ…」 嘘ではなかった。言葉では表せないけれど、確かにどこかで悦楽を感じていた気がする。 「…母も言ってた、血を吸われたら、ぞわぞわするけど気持ちいいって」 そう言ってキューズはローザの肩を抱き、ゆっくりとベッドに寝かせてやる。「……キューズ」か細い声で彼を呼べば、彼は先程から変わらぬ優しい笑みを向けてくれた。 「…僕の母は人間だったよ。父が化け物だった。父が人間になる前に僕を産んだんだ。僕が生まれてすぐに父は人間になり、そして人間として死んだ」 そうなの、と相槌を打とうとしたが、意識がぼんやりとしている。彼の細くも大きな手がローザの頭に乗せられると、その重みにさえ安堵を感じている自分に気付いた。…そしてそこから先は、覚えていない。 Title by Discolo [ back to top ] |