novel | ナノ
夢を見ていた。昔の夢を。あの日、彼女に傷を負わせた日の夢。

兄に連れられてやって来た組織で初めて出会った華族の少女。同い年だと聞いていたが、そうは思えないほど彼女は美しかった。…一目見て、彼は彼女に恋をした。


「あなたが流沙?」


あぁ、そういえば自分の名前はそれだった。どうやら彼女がパートナーになるらしい。彼女は強いから流沙を守ってくれる、という兄の計らいらしい。とにかく兄に感謝した。
…………しかし。


「わたくしは薔薇戦争。足手まといになるようだったら斬るわよ、新入り」


……思いの外、どぎつい性格をしていた。



最初の仕事は、全て薔薇戦争が片付けてくれた。しかし、二度目ともなるとそうはいかない。自分も戦力になるということを、ここで証明しなければならない。
仕事は、思っていたより楽だった。少し痛いが、相手に身を任せていればいいのだ。自分が傷つけば傷つくほど溢れる血が、相手を殺してくれるのだから。
さすがの薔薇戦争も、一目置いてくれたようだ。皆殺しした後、「…あなた、やるわね」そう言ってくれた。「どうだ、すげぇだろ」そう返そうとして、流沙は気を失った。



そして、目を覚ました流沙を待っていたのは、片目を失った薔薇戦争だった。


「……あなたの、所為よ」


どうやら、気を失っている間に吐き出した血が薔薇戦争の顔に飛んだらしい。彼が吐き出す血は、劇薬だ。流沙の涙腺から採取した涙と医療のエキスパートによって皮膚はケロイドが残る程度まで癒えたが、左目の視力は戻らなかった。
顔の左半分を分厚いガーゼで覆った薔薇戦争の怒りに満ちた顔は、今でも忘れられない。


「………ごめん、薔薇戦争」


本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。気を失っていたとはいえ、自分の所為で彼女の左目は光を失ったのだから。
しかし、流沙の謝罪に対して、薔薇戦争は舌打ちした。それが、流沙の癇に障ったのだ。


「人が謝ってんのに、何だよその態度は!」

「謝られて済む問題じゃないのよ!あなたの所為よ、あなたの所為でこんな、こんなにも中途半端なことに、」


そこから二人の因縁は始まった。それは、初恋のことなど忘れてしまうくらいに、長く辛辣なものだった。



そして、それから二年。
まさかあんな所で敵勢力に襲撃されるなんて思ってもみなかった。薔薇戦争は戦えない。ならば、誰が戦うか。自分に他なるまい。
そうして血を流したが、全てを引き受けるには流沙の血は足りなかった。意識が朦朧とし始めた。
大きな図体の男に抱え込まれる。…やばい、俺、負けたかも。そう意識の片隅で思っていると、薄れゆく視界の中で薔薇戦争を見た。
赤いネイルで彩られた長い爪を備えた指先で、男の目を潰す薔薇戦争。投げ出された流沙の体を抱き留める彼女の手は、流沙の血の毒にやられ、酷く荒れていた。そしてその顔には、絶望と悲哀が色濃く滲んでいた。
…そんな顔すんなよ。そう言ってやりたいのに言えなかった。寒い。けれど、薔薇戦争の手の温もりだけははっきりと感じ取れた。


「流沙!」


意識が完全に落ちる前に、あの気高い凛とした声で名を呼ばれた気がした。



………そうだ、俺は、


最後に見たあの悔しそうな悲しそうな表情が忘れられない。あの表情を見てから、血の欠乏でろくに働いていない思考は薔薇戦争のことでいっぱいだった。


……俺は、薔薇戦争に恋をしていたんだ。


そして、今でもその想いは変わっていない。あの表情を消してやりたかった。笑顔にしてあげたかった。そう思ったのだ。


……目を覚ませ、流沙…否、風川流人!


早く彼女に会いたい。どんなに拒絶されても、自分の気持ちは打ち明けてしまわなければ。でなければ一生後悔する。このまま眠り続けて死ぬだなんて、真っ平御免だ。


「流沙くん?!あぁ、目を覚ましたのね!」


そして。
ぼんやりとした視界に映る桃色。流沙の目が開かれたのを認めた瞬間、それは病室を飛び出した。しばらくしてから、放送が響き渡る。こんな大事のように叫ばれるほど、自分は長い時間眠っていたようだ。

体を起こし、首を捻る。ぽきぽきと軽い音がした。随分と鈍っているようだ。そう思った瞬間、病室のドアが開け放たれた。
驚いて視線を向ければ、そこにいたのは彼女……今すぐ会いたいと願っていた薔薇戦争だった。


「………戦争女?」


ついいつもの癖でそう呼んでしまった。今は難癖を付けるつもりはない、しまった、と思っていると、彼女は俯いたまま自分の名を呼んだ。
自分で自分を責めているようだった。


「そ、そうだな、お前の所為だよ畜生。怪我しまくるし血ぃ流しすぎたし」


違う、違う。この二年間で憎まれ口を叩くのが癖になってしまっていたようだ。何とも忌々しい。
ちらちらと薔薇戦争を気にしていると、拳をわななかせている。何か、何か言ってやらなければ。


「大体、何で俺を殺さなかったんだよ。そっちのが断然早く決着ついただろ?」


違う。確かに『流沙が敵に手に落ちるようなことがあれば殺せ』という暗黙の命令が彼女に課されていたが、そんなことを聞きたいのではない。思ってることと言うことが合わない。まだまだ脳味噌はおねむなようだ。
しかし、そこで薔薇戦争が反応を見せたのを流沙は見逃さなかった。何事だ、と彼女の方を見れば、小さく肩を震わせていた。……まさか。


「………お前、何泣いてんだよ…?」


今まで憎まれ口を叩いても噛み付いてきた彼女が、今回は何故か涙を流している。


「……殺せる訳、ないじゃない……」


小さな声。彼女のこんなに弱々しいか細い声を、流沙は初めて聞いた。息が詰まったような気がする。それほど、彼女の言葉が信じられなかった。


「あなたのことが、好きなんだもの…!」


流沙は目を瞠った。…今、何て。鼓動が高鳴る。耳の奥に彼女の言葉がこびりついている。
………相思、相愛?
鼓動の裏で、安堵にも似た感情が湧き起こる。どうやら彼女に先に言わせてしまったらしい。


「…………なぁ」


薔薇戦争の体ががちがちに固まっているのは一目瞭然だった。何をそんなに緊張することがあるのか、流沙は思わず小さく笑ってしまった。…自分でも驚くほど優しく笑えた気がした。


「なんだろ……俺今すんげぇほっとしてる。…そっか……そういうことだったのか…」


しっかり応えてやらなければなるまい。もっとそばで、彼女の目を見て。流沙はベッドを降り、裸足のまま彼女に歩み寄る。そうして、自分の気持ちも包み隠さず話した。薔薇戦争に一目惚れしていたこと、性格が合わないなと思ったこと。けれど、忘れていただけで恋心はずっと持っていたということ。


「お前が俺の初恋だったんだ」


手を伸ばさなくても届く距離に辿り着いた流沙は、彼女の頬に手を添えて止まらない涙を拭ってやった。自分の気持ちに素直になると、愛しさが込み上げてきた。今すぐにでも抱き締めたかった。



「俺も好きだよ、薔薇戦争」


その瞬間、彼女のしなやかな腕が首に回される。流沙も逆らうことなく、彼女の背に腕を回した。


「ごめん、ごめんね、流沙、ごめんね…好き。好きよ、流沙、流沙ぁ…っ!」


あぁ、なんていじらしくてか弱くて。そして、こんなにも愛おしいのか。流沙は彼女の頭を掻き抱き、耳元に唇を寄せた。自分も謝らなければならない。そして、もう一度ちゃんと伝えなければならない。


「俺も好き。…待たせてごめんな」



…これは、遠いようで近すぎた、ある二人の初恋のおはなしのもうひとつの側面。













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