novel | ナノ
『まさか君は、』

風紋の言葉が耳の奥で蘇る。聞くまいと思って聞かぬふりをした言葉が、まるで目の前で話されているかのように鮮明に聞こえている気がする。
薔薇戦争は、その部屋の扉を勢い良く開けた。ベッドの上では、先程まで目を閉じていた彼が体を起こしていた。


「………戦争女?」


久しぶりに聞いた声に、疲労や苦痛は見えない。思っていたより元気なようだった。喜ぶべきことだが、今の薔薇戦争にとっては意味を成さない。
…彼がどういう状態であれ、伝えなければ。


「流沙」


彼の目が見開かれる。無理もないだろう、クソ野郎だの何だのと、いつも言われのない呼ばれ方をしていたのに、今回は自分の名前で呼ばれたのだから。


「…わたくしの、所為で」


そう一言だけ言って、薔薇戦争の言葉は続かなかった。彼女は俯き、拳を強く握っている。彼女が言わんとすることを察したらしく、流沙はわざとらしく息をついた。


「そ、そうだな、お前の所為だよ畜生。怪我しまくるし血ぃ流しすぎたし」


言いながら流沙はちらちらと何度も薔薇戦争を見ている。彼女は、病室の入口の前から動こうとしない。何も反応を示さない。…否、握る拳が震えている。異変に気付く流沙だが、もう一度だけわざとらしい溜息をつき、横目で薔薇戦争を見た。


「大体、何で俺を殺さなかったんだよ。そっちのが断然早く決着ついただろ?」


ぴくっ、と一瞬反応を露わにする薔薇戦争。しかし、それ以降は何もなく。不審に思った流沙が、今度は横目ではなくしっかりと彼女の方を見ると、彼女の肩が震えているのが分かった。そして、時々嗚咽も聞こえてくる。


「………お前、何泣いてんだよ…?」


訝しげに流沙が尋ねると、薔薇戦争は握った拳を顔に擦り付けた。しかし、未だに顔は見せない。


「……殺せる訳、ないじゃない……」


彼女らしくない小さな声だったが、流沙の耳にははっきりと聞こえた。思いがけない言葉に、呼吸をすることさえ忘れてしまったような錯覚に陥る。
その時、薔薇戦争はようやく顔を上げた。その美しい顔は、涙でくしゃくしゃになって、紅潮してすらいる。

『まさか君は、』

再び彼女の脳裏に風紋の言葉が蘇る。

『まさか君は、流沙を愛してくれているのか?』


「そうよ」


気付くのが遅すぎだ、と、自分で自分を殴ってやりたい。薔薇戦争は涙を拭い、潤んだ目で流沙のその青紫の目を見た。まっすぐに、奥の奥まで覗き込むように。
そして。


「あなたのことが、好きなんだもの…!」


さくらに揺さぶられ、じゅげむに見透かされ、風紋に気付かれ、サラバンドにちょっかいをかけられ、天国に背中を押されて、やっと、やっと気付いたのだ。自尊心に覆い隠されてきた、本当の気持ちに。

ずっと、ずっと前から、流沙のことが好きだった。

すう、と胸の奥のわだかまりが消えていくのが分かる。嗚呼、ずっと言いたかったのだ。ようやくその時そう理解した。
そして…流沙が目を見開いて硬直しているのに気付き、薔薇戦争ははっと我に返った。無理もない、あれだけ憎まれ口を叩いていた女がいきなり告白してきたのだから。迷惑に他ならないだろう。


「…………なぁ」


流沙の声が、薔薇戦争の耳を伝い、脳に響く。自分の気持ちを自覚し始めてから、彼の声が以前よりひどく愛おしく感じるようになった気がした。
しかし、突然の告白に続く呼びかけであった為、薔薇戦争は唇を噛んで流沙の次の言葉を待つ。何を言われても受け入れる覚悟はできていた。
そんな彼女は、明らかに体ががちがちに固まっていて。あまりの分かりやすさに、流沙は薄く微笑んだ。


「なんだろ……俺今すんげぇほっとしてる」


え、と、今度は薔薇戦争が目を見開いた。どうして、どうして彼はこんなにも優しく笑っているのだろう。…まさか。言いようのない期待と不安が、薔薇戦争の中で湧き上がる。


「そっか……そういうことだったのか…」


どこか納得したように、彼はうんうんと一人でに頷いている。そして何度か薔薇戦争の見てから、ベッドから降りた。


「俺さ、お前と初めて出会った時、一目惚れしてたんだ」


白い床に立つ彼は、驚くほどに白い。窓際に立つことによって、逆光がさらに彼を見えにくくさせる。そのままゆっくりと彼が薔薇戦争の方に近づいてくる。徐々に彼の顔が見え始めた。


「けどお前、性格きつかったろ?だからお前とは馬が合わねぇって思った。だから、すっかり忘れてたみてぇだ。……今、思い出した」


そして、彼は薔薇戦争の目と鼻の先に立つ。いつも近くにいたが、ここまで接近したことが今までにあっただろうか。こんなにも近い彼を愛おしく、今すぐ抱き締めたいと感じたことがあっただろうか。


「お前が俺の初恋だったんだ」


彼は薔薇戦争の頬に手を添え、目尻の涙を拭う。しかし、その涙が止まることはない。彼女の涙はもう、罪悪感によるものではないのだから。


「俺も好きだよ、薔薇戦争」


薔薇戦争は、もう迷わなかった。
彼の首に腕を回し、強く抱き寄せる。流沙も彼女の背に腕を回し、折れそうなほどきつく抱き締めた。


「ごめん、ごめんね、流沙、ごめんね…好き。好きよ、流沙、流沙ぁ…っ!」


堰を切ったように泣き出す薔薇戦争。流沙の抱擁は、その全てを受け入れるように優しかった。長い遠回りだった、と思う。流沙は薔薇戦争の耳元に唇を寄せ、笑った。


「俺も好き。…待たせてごめんな」



…これは、遠いようで近すぎた、ある二人の初恋のおはなし。












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