novel | ナノ
残りの紅茶を飲み干し、ゴミ箱にペットボトルを捨てる。その時、ふと彼と出会った時のことを思い出した。

あれは、流沙とペアを組んで二度目の任務だった。
一度目の任務は、先輩である薔薇戦争が一人で全てを片した。しかし、二度目ともなると、そろそろ流沙にも実戦を経てもらわなければならない。
元々薔薇戦争は自分より格下が嫌いだった。流沙の家は士族。薔薇戦争の家は華族。しかも流沙は妾の子と聞いていた。明らかに普通とは違っていたから尚更嫌いだった。……否、寧ろ嫌悪を越えて気になっていた気がしなくもない。顔色が悪いと言われても不思議ではないほど白い肌に色素を失った白い髪、青紫の瞳はまるで吸い込まれそうで。こんなにも儚げで今にも散りそうな少年を、彼女は見たことがなかった。
されど、気高き自分が易々と心を開いてはならない。そういったプライドのようなものが薔薇戦争を突き動かしていた為、初めからまともに彼と話せたことなどなかった。

そして、来たる二度目の任務。流沙の能力が不特定多数を一気に抹殺できることには驚いた。しかし、消耗が早い。血を流しすぎて倒れた彼に駆け寄り、呼吸を確認しようと彼の鼻と口の前に顔を持って行った瞬間だった。


「がはっ」


吐血。彼の吐き出した血が、薔薇戦争の顔の左側にかかる、そして。


「ああああああああああああああっ!!!!!!!」


彼女の美しい顔は、一時的にとはいえ酷く醜く爛れたのだ。

表面上の傷は癒えたが、左目の視力が戻ることはなかった。眼球そのものが機能を失った。しかし、障害が視神経までで済んだのは不幸中の幸いだったらしい。普通の人間なら、視神経を伝って脳を破壊されていたという。
薔薇戦争は重い息を吐き出し、左目の眼帯をさする。この眼帯の下には、ケロイドと、件の眼球がある。強く押してみても何も感じない。片目だけが見えるという中途半端な状態を、薔薇戦争は何よりも忌み嫌った。そして恨んだのだ、片目を奪った流沙を。薔薇戦争のほぼ一方的な怨恨が、今尚二人の因縁として残っている。


「……罰が当たったのかも、ね」


思えば二年も前の話だ。いつまでも流沙を許すことなくうじうじと引っ張って、憎んで。どうして許せなかったのか、否、本当はもう許していた。しかし、ここで心を開いたらどうなる?自分から心を開くのか?自分は悪くないのに?そう思い始めると、許したことさえどんどん忘れていって。


「……駄目、だわ」


どうしてこんなにも流沙のことばかり考えてしまうのだろう。彼は同僚で、パートナーで、薔薇戦争の護衛の対象だ。それ以上でも以下でもない。しかし、明らかに仕事以外の私情を交えながら流沙のことを考えてしまっている。


「……うぅ…」


先程のじゅげむの言葉を思い出すと、また目尻が熱くなった。反省もしているし、過去のことも許してはいる。しかし、まだ何かが胸の奥に痞えている。それが何なのか、今の薔薇戦争にも分からない。

とにかく薔薇戦争は、もう一度流沙の病室に向かうことにした。



先程まで病室にいたさくらは、いつの間にかいなくなっていて。室内には、流沙が横たわっているだけだった。
ベッドのそばに椅子があるにもかかわらず、薔薇戦争は入口の前から動けない。今は何故か、できるだけ流沙と距離を置いておきたかった。
ふと、ちくりと眼帯の下が痛む。と言うよりも、疼いた、と言う方が正しいかもしれない。眼帯に手を添えると、背後のドアが開いた。


「おや、先客がいたようだ」

「…ボス…」


暗く澱んだ青い目で薔薇戦争の姿を捉える彼、風紋。ゆっくりとドアを閉めると、ふわりと起こる風が彼の白銀の髪を揺らした。
風紋。彼こそが、目覚めない流沙の異母兄。


「…ボス、わたくしは、」

「謝罪はもう要らない。それに、言ったろう、流沙を助けてくれてありがとう、と」


風紋の優しい言葉が、薔薇戦争の心に染み渡っていく。風紋に頭を下げ、流沙の方を見遣った。風紋の視線も、流沙に向けられている。


「……どうして、許してくださるんですか」


気付けば、口が勝手に動いていた。しかし風紋は流沙から視線を外すことなく、そのまま口角を吊り上げる。


「愚問だ」


その回答に薔薇は何も言えない。それを知ってか知らずか、風紋は流沙のベッドのそばまで歩み寄る。


「私と流沙は、仲間である以前に家族なのだよ。私の唯一の肉親さ。彼を失ったら、私はどうにかなってしまいそうだよ」

「…しかしわたくしは、命令に背きました…一歩間違えれば、流沙を奪われていたかもしれないのですよ?」

「ならば逆に聞こう」


切り返しの言葉とこちらに向けられた視線には、先程まで感じられなかった威圧が含まれていた。思わず薔薇戦争は口を噤み、俯いてしまう。


「何故、君は命令に背いた?」


え、と薔薇戦争は息を呑んだ。…何故だ?確かにあの時の自分の行動は明らかにおかしかった。命令は絶対。そう誓った自分が、命令に背いて流沙を助けた。

………………何故?

再び眼帯の下が疼く。あまりのむず痒さに左手で顔を覆いながら、しかし答えは見つからない。


「……まさか君は、―――」


珍しく驚嘆を孕んだ風紋の声が聞こえた。しかし、それに続く言葉を、薔薇戦争は聞こえないふりをした。…そんなはずはない、と、胸の奥でまだ何かが叫んでいる。








[ back to top ]