novel | ナノ
「キューズ!」


いつも姿が見えない彼を呼ぶ。彼は、呼ばなければ現れない。
しばらくすると、無風であるはずなのに、薔子の前髪が揺れる。そして…ふわりと後ろから首に腕を回され、抱き締められていた。


「お呼びですか、薔子お嬢様」

「……………」

「…あぁ、いい香り。お嬢様の血はさぞ美味なんでしょうね。あぁ、いただけるならいただきたい、けれど残念、僕はあなたの血をいただけない…」


首筋に彼の吐息と髪が触れ、こそばゆい。軽く唇を噛んだ後に「やめなさい」と拒絶すれば、彼は思いの外すんなりと薔子から体を離した。


「血くらい飲んでもいいわよ」

「僕は既にローザの血を啜っています。それにあなたは、僕を一人の男として愛してくれないでしょう」

「……………そういえば、」


血を啜る化け物、俗に言う吸血鬼に類する彼、キューズの問いに応えず、薔子は彼を呼んだ本題に入る。しかしキューズは表情を曇らせることなく微笑む。
そして薔子は、手にしていたものをキューズの前に差し出した。古びた赤茶色の皮手帳だった。大量の紙が綴じられた重いそれを、キューズはそっと受け取る。


「ローザの手帳よ」


途端、キューズは瞠目し、手帳に視線を落とす。そして薔子を見て、もう一度手帳を見下ろす。
ローザ。フルネームは、ローザ=ウォーブロー。キューズを愛し、キューズに愛された女性。今はもうこの世にはいないけれど。


「昔、ローザが何か書いてるのを思い出して…もしかしたらと思って彼女の遺品の中を探したら見つけたの。…ちなみにわたくしはまだ中を見てないわ。まずあなたが見るべきだと思って」


キューズは唇を噛み、薔子に向かって深々と頭を下げる。そして頭を上げ、ごくりと生唾を飲み下してゆっくりと手帳を開いた。



私と彼が出会って一年。彼がいなくなって五ヶ月が過ぎた。



そこから彼女の手記は始まった。
年月日は書かれていない。書かれている内容から察するに、行間で日付が変わっているようだった。そして、毎日書いていたというわけでもなさそうだった。

彼は静かにページを捲る。







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