novel | ナノ
「スケートリンク?」


珍しく朝から姿が見えない流沙を探していると、さくらが「近くのスケートリンクに行ってるわ」と教えてくれた。
少し不安な気分が落ち着き、薔薇戦争は溜息をつく。すると、さくらがくすくすと笑うのが聞こえた。


「もう、薔薇戦争ちゃんったら本当に流沙くんが好きなのね。流沙くんがいないって言ってきた時の薔薇戦争ちゃん、泣きそうになってたわ」

「っ、ちょ、な、」

「多分向こうで滑ってると思うから、暖かい格好をして行ってらっしゃい」


顔を真っ赤にする薔薇戦争の脇を通り、さくらはその場から立ち去る。薔薇戦争は頬に手を添え、その熱を感じながら防寒具を取りに部屋に戻った。



イヤマフ、マフラー、トレンチコート、グローブ、タイツ、ブーツ、ポケットにはカイロ。ありとあらゆる防寒対策をした薔薇戦争は、組織のビルの近くにある鄙びたスケートリンクに来た。人の出入りは全くない。取り壊されていないのが不思議なくらいだ。
こんな所まで来て彼はスケートをしているのだろうか。いや、そもそも彼がスケートをすること自体知らなかった。案外まだまだ知らないことがあるんだな、と思うと、きゅうっと胸が締め付けられるような感覚を覚える。

錆びた鉄の扉を開くと、そこはアリーナのようになっていた。中央には氷の床が広がっている。そして、その氷の中心に立つのは、黒いジャージを着た白い彼。


「…流沙……」


声をかけようとした瞬間、リンクの全てのスピーカーから音楽が流れ始めた。弦楽器と木管楽器が目まぐるしく旋律を奏でる。そして、時計の秒針のような打楽器の音。それらが絡み合うその音楽は、タイムリミットの12時の鐘によって魔法が解かれるあの童話のワンシーンのようで。

彼は氷の上で、逃げる姫を追いかける王子を体現しているようだった。手を伸ばし、リンクを駆ける。そして、一際荘厳な鐘の音が鳴った瞬間……彼は氷を蹴り、宙を舞った。
氷上で愛しい姫を求める王子の姿に、薔薇戦争は胸が高鳴るのを感じた。無意識のうちにコートの胸元を握り締める。

重々しい鐘の音が12回。訪れる一瞬の静けさ。姫はそこにはもういない。残されたのは、硝子の靴。彼はそれを拾い上げ、高々と掲げる。そしてそれを胸元に抱き締め、最後の一音が鳴り止むまで氷の上を回る。まるで葛藤の中で決意を固めるように。そして最後の一瞬で、決まる。そこで氷上で描かれる物語は終わった。

薔薇戦争の頬を伝うのは、涙だった。悲しくはない、ただ、ただ胸を打たれた。彼のその姿があまりにも美しすぎて。
彼はスケート靴を脱ぎ、普通のスニーカーに履き替える。そして、息を切らせて薔薇戦争の方に駆け寄ってきた。彼女の涙を見て一瞬驚きはしたが、ふっと微笑み、頬に手を添えて涙を拭ってやった。


「見てくれた?薔薇」


一心に首を縦に振る薔薇戦争が愛おしくて、流沙はそっと彼女に口付けようと顔を近付ける。…その時、ぱちぱちぱち、と乾いた音が二人の耳に届いた。
音がした方を見れば、明らかに染めたものと思われる不自然な茶髪の少年がいた。年の頃は流沙や薔薇戦争と同じくらいだろうか。
薔薇戦争は警戒を露わにするが、流沙は瞠目し硬直していた。茶髪の少年はニコッと笑い、ひらひらと手を振る。


「久しぶりだな、流人!いやー、やっぱお前の滑りは最高だなぁ!」


流人。彼は確かにそう言った。流沙の本名だ。薔薇戦争がはっと流沙を見上げると、彼は小さく苦笑していた。


「……何で俺のこと覚えてんだよ、翔」


翔、と呼ばれた彼はにこっと笑い、おどけたように両腕を広げて流沙と薔薇戦争に近寄ってきた。


「あの日からみんなお前のことを忘れてやがるんだぜ?お前、何したの?てか、何で急にいなくなったんだよ」

「質問の答えになってねぇよ」


そこで薔薇戦争は思い出す。彼はまだ高校生だった時に、学校で能力に目覚めてしまった。日常生活に支障を来すかもしれない能力であった為、じゅげむの能力を使って彼が通っていた学校から彼の存在を消したのだ。流沙には申し訳ないが、つまり彼は高校を中退したようなものだ、と風紋が言っていた気がする。
今目の前にいる一般人らしき少年も、きっと流沙……風川流人と同じ学校に通っていたのだろう。しかし彼は流人を覚えている。


「あ、わり」


笑んだまま顔の前で両手を合わせ、彼は頭を下げる。そして顔を上げ、さらに笑みを深めた。


「だって俺達、幼馴染じゃん?」

「…呆れた。やっぱ答えになってねぇ」

「俺だって知らねぇよ俺だけだもんお前を覚えてたの!…まぁ今こうして再会できたし、何でお前が消えたのかってことは聞かないでおくよ。でも、一つだけ教えて欲しい」


ぎゃあぎゃあと騒いでいた空気が一変する。少年、翔の視線が薔薇戦争に向けられると、流沙はごくりと息を呑み、薔薇戦争の肩を抱いた。


「その美女、お前の彼女?」

「……は?え、あ、あぁ、彼女だよ。もうすぐ結婚する。あ、ばら…じゃなくて薔子、こいつ、俺の幼馴染の谷口翔」

「え、あ、よろしくお願いします。わたくし、流人の妻になります荊華院薔子です」


薔薇戦争が久しぶりに本名を名乗って頭を下げると、翔の表情が強張った。その顔のまま彼は流沙の胸倉を掴む。


「てめぇ次男坊だから荊華院とかみたいな許嫁はいねぇっつってたじゃん!バリバリ荊華院じゃん!お嬢様じゃん!」

「いや、あの、許嫁じゃなくて普通に恋愛してお付き合いに至ったんだけど」

「何それ嫌味?!てめぇしばらく会わねぇと思ってたら!こんな美人を嫁にもらうだと!?」

「はっ、羨ましい?羨ましいだろ、こんな美人なんだぜ、けど残念、こいつは俺のものだからな!誰にも渡さないからな!」

「くそったれ!リア充爆発しろ!」


二人の皮肉の言い合いには、幼馴染ならではの親しさが滲み出ていた。学校など行かずに家で家庭教師による英才教育を受けていた薔薇戦争には、幼馴染はいない。そんな二人が羨ましくもあり、そして、憎らしくもあった。翔に流沙を一人占めされているような気がした。
薔薇戦争はむっと頬を膨らませ、翔が見ているにもかかわらず流沙を背後から抱き締める。そんな状況に陥り、流沙は勿論のことながら、翔も硬直した。薔薇戦争は流沙の背に顔を押し付け、一言。


「……ずるい」


それだけで流沙には十分だった。彼は振り返って薔薇戦争の額に口付け、肩を抱いて翔を顧みる。


「わり、俺帰るわ」

「デレデレかよ!てか妬いてんのか薔子ちゃん!かわいいな!そりゃこいつもデレるわな!…じゃねぇよ!」

「またな、翔。これからちょいちょい滑りに来るわ」

「勝者の余裕かこの野郎!あーはいはい分かりましたよ!…いつでも来い、待ってるから」

「ごめんな薔子、帰ったらたっぷり相手してやるよ、言うこと何でも聞いてあげる」

「無視すんなッ!」




Image Music
バレエ音楽「シンデレラ」より 真夜中
セルゲイ=プロコフィエフ





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