novel | ナノ
「ヘヴン、流し目頂戴」

「そうそう、いい顔してる」

「はい、次、満面の笑顔で!」

「いろんな笑顔行ってみようか」


複数のカメラに囲まれて、指示されたように数々の表情を見せる青年。"天"の名を冠する彼を遠目に見ながら、薔薇戦争はスタジオ入口付近の壁にもたれて腕を組んで立っていた。

数ヶ月前、突如某雑誌に現れた新風は留まることを知らない。彼が登場してから雑誌の売上は好調、ファンレターも数知れず。今目の前で行われている撮影も、雑誌内ではなく来月発売の雑誌の表紙らしい。
そして、彼は素性を全く明かしていない。"ヘヴン"という名前しか、公には公開されていないのだ。しかし、そのミステリアスさが彼の人気の理由の一つでもあると言っても過言ではない。……と彼の評価を聞いた時、巷の女とは秘密めいた男を好むものなのか、と薔薇戦争には理解が及ばなかった。


「君、ヘヴンの撮影の時はいつも来てるよね」


そんなことを思考していると、見知らぬ男に声をかけられた。どこかで見たことがある……と思えば、雑誌のディレクターだった。ヘヴンを贔屓しており、彼の人気を逆手に取って彼の特集を組もうと画策しているらしい、とヘヴン本人から聞いたことがある。


「あ、まさか彼女さん?」

「違う」

「全く姿を見せないマネージャーさんか!」

「違う」

「…え、まさかただの付き添い?」

「そうよ」


ヘヴンの……"天国の島"の護衛とは言えない。それ以外のことも、多くは語ってはいけない。薔薇戦争はディレクターと目を合わせることなく、腕を組み直して溜息をついた。


「何だ、面白くないなぁ。…あれ、よく見たら君、可愛い顔してるね!」

「………………」


そこでようやく薔薇戦争はディレクターを見た。眉間に皺を寄せ、それはそれは心底鬱陶しそうな目で。
ディレクターは一瞬たじろいだが、まるで餌を前にした犬のようにどこか興奮した様子で薔薇戦争に迫る。


「ねぇ、良かったら撮らせてくれない?ほら、ヘヴンとツーショットでさ!うわぁ、考えただけで鳥肌もんだ、君みたいな美少女とヘヴンのツーショットなんてさ!」

「………………………」


薔薇戦争の表情はさらに険しくなる。こんな癪に障る男、普段なら即座に首を斬り落としてやるのに、ディレクターは一般人。手を出すことは言語道断。


「……生憎、人前に出る趣味は持ち合わせてないの」

「そんなこと言わずにさ、ほら、衣装さんにいい服選んでもらうしさ!」


嗚呼、もう我慢の限界だ。薔薇戦争がスカートの下に潜ませていた小刀に手をかけた瞬間だった。


「お疲れ様でーす」


飄々とした声と共に、撮影を終えた彼が薔薇戦争の腕を掴んでスタジオを出て行った。


「ちょ、ヘヴン!」



「何、スカウトされてたんだ薔薇戦争」

「あなたみたいな晒し者にされるなんて、願い下げだわ」

「……あー、さいですか」


日は少し長くなったが、まだまだ冬真っ只中である。薔薇戦争がマフラーに口元を埋め、天国もジャケットの正面のジッパーを上まで上げた。


「…それにしてもまぁ、今こうして普通にわたくしと歩いてるのに騒がれないのね。…あぁ、あなたの地元の島からあなたのことが漏れないのも不思議だわ」


人の波が絶えない街中を歩いている期待のイケメン新人モデルに誰も気付かない。誰も彼も雑踏を忙しなく行き交っている。


「あー、全部願ってるからね、『誰も俺に気付きませんように』とか、『島の奴らがリークしませんように』とか」

「……相変わらず便利ね、天国の島は」


願えば何でも叶う。その許容範囲がどの程度のものなのかは誰も想定し得ないが、心優しいこの青年は能力を大それたことに使用したりしない。自分や仲間に危害が及ばないように能力を行使しているあたり、やはりその根の優しさは疑えない。


「…あのさ、薔薇戦争」


決して口には出さずに「天国はいい奴だ」と評価していると、彼はふと立ち止まって薔薇戦争を呼び止めた。彼女も立ち止まり、振り返る。いつの間にか人混みを脱し、周りに人はいない。


「俺、島を出る為の口実でこの仕事始めたけどさ、」


口実。彼はある島にとって大事な舞手なのである。それを島から離れさせてジパング本土に住まわせる為に、薔薇戦争や組織のボスが手を回し金を回し、彼を、"天売 匠"を"天国の島"として迎え入れた。
薔薇戦争の中に罪悪感がない訳ではない。しかし、彼に呼び止められ、今になってふと罪の意識が湧いて出た。
しかし、そんな薔薇戦争の心持ちに反して、彼は目尻を細めて柔らかく微笑んだ。


「今、すっげぇ楽しいんだよ」


彼は両手を広げ、嬉しそうに楽しそうに笑みを深めた。その仕草は、まるで自由を約束された鳥のようで。優しさを己の内に包み込んだ一人の青年の肩に、はらりと白い花弁のようなものが舞い降りた。


「………あ、雪だ」


天を仰ぎ、左右に伸ばした腕を頭上に伸ばす彼。誰かの幸せを願ってばかりな彼が幸せそうに笑うのを見て、薔薇戦争は口角を上げ踵を返した。


「ちょ、薔薇戦争!」

「本降りになる前に帰るわよ、わたくし、寒いのは駄目なの」

「わーったよ、俺らの薔薇嬢よ!」


自分達が幸せになることで彼が幸せになるなら、もう少し自分の身を自分で案じるのも悪くないかもしれない。



Title by 秋桜



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