「流人(りゅうと)って言うな、俺は流人(るひと)だ」 ある冬の日のこと。ここ、都立郡丘(こおりおか)高校のグラウンドでは、冬の恒例授業とも言える持久走が行われていた。 「まぁ細かいことは気にすんなって。それよりさ、昨日の『雷神ぐ太陽』見た?」 「…見てないけど」 「えっ、勿体無い!あのアイドルグループhinoA(ひのエー)の陽菜ちゃん出てたのに!くそ可愛かったのに!」 白い息を吐きながら寒空の下で並走する少年。アイドルに盛り上がっているのが谷口翔。彼に対して冷めた視線を向けているのが風川流人。 「…テレビに出てるから可愛いって、そんなことないと思うけど?」 「あ、もしかして流人、テレビには出ない隠れた美女専?…あ、お前、士族の家なんだっけ、ってことは華族のお嬢様が許嫁だったりするの?荊華院とか。やべーうらやま」 「…確かにウチもまぁそういう家柄に列挙されるけどさ…荊華院はケタが違ぇよ。それに、もしそんな話があっても、次男坊の俺には関係ねぇし」 話しながら走っていると、体の熱が上がるのも早い。「やべ、山チューが見てる、先行くぜ」「あっ、おい待てよ流人!」5kmの道程はなかなか長く、流人は翔よりも先を行った。 ちなみに山チューとは、出っ歯がチャームポイントの体育教師、山中のことである。 そして、話しながらの走行が不謹慎だと思われた二人は、追加でさらに2km走らされた。 「…お前の所為で散々な目に遭ったじゃねぇか!」 「え、俺の所為?」 「お前の所為だ!」 更衣室で周りより遅れて着替える翔と流人。昼休み前の4限が体育で助かった。 流人は、汗が体を冷やさないようにタオルで全身を丁寧に拭く。そして制汗剤を塗り付け、その甘いシトラス系の香りにくらりと目眩を覚えた。 「…でさ、実際どうなの、許嫁とかいるの?」 「……まだ続いてたの、その話」 汗でぐっしょり濡れたシャツをビニール袋に放り込み、替えのヒートテックを着る。翔に制汗剤のスプレーを投げ付け、制服のワイシャツを羽織った。 「だから次男坊の俺には関係ねぇって」 「ちぇっ、面白くねーの」 面白がるなよ。そう頭の中で吐き捨て、ボタンを留めていく。再びシトラス系の香りが鼻をついた。いい香りだが、目眩がする。翔、付けすぎだ。そう言いかけて、視界が傾いだ。 「………は?」 そのまま体が床に打ち付けられる衝撃。翔が珍しく慌てふためく声が聞こえる。が、その声もだんだん遠退き、流人の意識は闇に堕ちた。 紫色のどろどろしたものが体中を駆け巡る。 体中から何かが抜けていく。それと入れ違うように、何かが入ってくる。 血が巡るように、さも当然のことのように、どろどろした何かが体中を巡るような感覚。 ………Ce havey, Qs'i Ckucc! 「!!!」 突然意識が覚醒し、彼は飛び起きた。ずきんと鋭い痛みが脳内に走る。頭を押さえて呻いていると、がらがらと扉が開く音がした。 「目が覚めたか」 聞き慣れた声。そちらに目を向ければ、そこには兄の姿があった。銀色の髪がふわりと揺れる。 「……あ、兄貴、俺、」 「大丈夫だ。お前は神に愛された」 兄の言葉の意味が分からなかった。そして、そこで彼は気付く。視界の端にちらりと掠めた前髪。それが黒ではなく、色が抜けてしまっていた。老人のように、それは白くなっていた。 「…………え……」 頭を押さえる手を見れば、血色が悪くなっているような気がした。まるで病人のように。 「流沙(りゅうさ)」 兄の声が彼を呼ぶ。しかし、名前ではない。それでも彼は"呼ばれた"。心が呼ばれたと感じたように思えた。 「まさかお前だったとは。神に愛された4人目にして、最強の生体兵器」 「……兵、器……?」 不思議と反発する気は起きなかった。まるで自分が兵器と呼ばれるのが分かっていたかのように。 「神に愛された者。お前の名は《流沙》」 そうだ、自分は神に愛された。体中を巡る何かが滾る。その滾る何かが、自分の力であることも理解できた。 「さぁ、この国に神の慈悲を施そう。ジパングをより良い平和な国にする為に」 神に愛されたからこそ、神に愛されぬ者に救いの手を。救済の措置を。 彼は…流沙は口角を吊り上げ、血の通いが悪い手を見つめ、ぐっと握りしめた。 「……あぁ」 [ back to top ] |