novel | ナノ
「……で、薔薇戦争」

「何かしら」

50mはゆうに超えているであろうビルの屋上に、二つの影。一つは黒い髪に銀色の甲冑を纏った少女で、もう一つは明るい茶髪の青年だった。青年、天国は不満そうに唇を尖らせ、少女、薔薇戦争を見た。

「本当にシャコンヌSは来るわけ?もう殺されてんじゃねぇの?」

「シャコンヌSが殺されずにここに来ることを祈るのがあなたの役目よ」

天国はまだ腑に落ちないといった表情を浮かべたが、薔薇戦争の言うことに素直に従う。彼女は彼女で、柵から身を乗り出して地上を見ていた。同じくらいの高さのビルが隣接しているので、彼女が見下ろす地上は暗い。
すると、彼女は目を見開き、腰に差した刀を抜いて柵に乗り上がった。

「ちょ、薔薇戦争、危ねぇって!」

天国の制止の声を聞かず、薔薇戦争は恍惚とした笑みを浮かべて身を屈める。

「来たわ……!」

そう一言残し、彼女は柵から飛び降りた。



彼は追われていた。しかし、何故追われているのか彼自身にも分からなかった。走って、途中でつまずいて、それでも立ち上がって、走って、走って。
しかし、とうとう追い詰められた。路地裏。超高層ビルに挟まれたそこは暗く、まるで違う世界のようで。サングラスをかけた黒ずくめの複数の男達が、彼に迫る。

……あ、ボク、終わったかも。

そう疲れの所為だろうか、再び走り出す気力もない。彼は地面にへたり込み、目を閉じて生の終わりを感じた瞬間。

絶叫が、彼の耳を支配した。

「…………え、」

喘鳴以外で声が出たのはかなり久しぶりだった気がした。
うっすらと目を開ければ、先程までいなかったものがそこにいた。艶やかな黒い美しい髪がビルの隙間を吹き抜ける風に遊ばれる。

「……あら、そういえば今日はあの野郎はいなかったわね」

それはそれはゆらりと彼の方を見る。紅い眼光が闇に浮かび上がった。その口元には、微笑。

「あの野郎がいないのなら、今日はわたくしの独壇場だわ」

そして、彼女の両の手に握られた刃物が彼を取り囲む黒ずくめの男達に向けられる。

「少し待ちなさい、シャコンヌS」

彼女が言った言葉に、妙な懐かしさを覚えた瞬間。
彼の視界を、紅が支配した。



「ったく、薔薇戦争!あんたあの高さから飛び降りやがって、死んだらどうすんだよ!」

「あら天国、遅かったじゃない。飛んできたら良かったのに、わざわざ階段で降りてきたのね」

「飛ぶ方がどうかしてんだろ!」

死体の山が折り重なった路地裏を出てすぐ、天国と呼ばれる茶髪の青年が息を切らせてやって来た。
彼を助けてくれた女がしばらく青年に説教をされている間、彼は蚊帳の外にいるような気がした。というより、人付き合いが苦手な彼には、いきなり現れた二人に話しかけるのは些か憚られた。

「さぁ、シャコンヌS」

青年の説教を完全に聞き流していた彼女は、彼に向き直り、にこりと微笑んだ。無邪気さを孕んだ上品な笑みに、不覚にも胸が高鳴る。

「あなたはまだ自分が何者か分かっていないようだけど、わたくし達と共に来ればあなたが生きる意味が分かるわ。さぁ、来なさい、シャコンヌS」

シャコンヌS。
先程もそうだったが、その言葉を聞くと懐かしくなる。胸の奥が熱くなる。彼が衣服の胸元を掻き抱くと、彼女は彼に歩み寄り、そっと抱きしめた。

「待っていたわ、シャコンヌS。我が同胞」

茶髪の青年も、彼に近寄って頭に手を置く。あぁ、知ってる。彼らの温もりを、彼は確かに知っていた。

「……ば、らせんそう、…と……て、てん、ごくの、しま…」

そうだ、彼らは同胞。ようやく思い出した。そうだ、自分の名は。

紡げ、その震える唇で。

彼は、普段呼吸以外でろくに使わない肺を膨らませ、普段から喋るのが下手な舌を動かす。

「……ボクは、シャコンヌS、だ」











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