novel | ナノ
慈愛と幸福の女神アリテシは、彼女の社たる幸愛神社の大鳥居の上に立ち、目下に迫るそれらを見下ろす。多種多様な凶器を携えた集団。感情のないアリテシの面に、微かな苛立ちが滲む。
集団のうちの一人がアリテシを指差す。神が見えるのに神を殺そうとする愚か者ども。アリテシは口の中でその言葉を飲み込み、彼らを迎え討たんと屋根から飛び降りようとして、

「シズクの言ってたことは本当だったってわけですね」

鳥居の真下、つまりちょうどアリテシの足下に二人の人間の姿があった。片や黒髪の青年。片や茶髪の幼い少女。一歩、青年が前に出る。まるで連中を鳥居の中には入れまいとするように。

「神殺しの神社への襲来、なんてね。そもそも神殺しとは、ヘヴンズゲートの中で天子のみを神と崇め、本物の神を真っ向から否定する、構成員のうちで最も過激な連中だそうで」

「……鶴科ハトリのおともだちが…神殺しになってなかったのは…その子が"普通"に神さまを信じて、"普通"に天子にあこがれてるだけの…"普通"の子だったから……」

彼らは誰に何を言っているのだろうか。しかし、アリテシは今回の事件の事情を凡そしか知らない。故に彼らの言葉で、迫る脅威の内実を僅かながらに理解できた。

「…こいつらは…普通じゃないから、つぶす…早くおわらせて、帰ろう、ノゾミ」

「勿論そのつもりですよ、リヴリー。キミに無理はさせられませんからね」

「ん。キヨがしんぱいする」

二人は階段を駆け下り、集団を迎え討つ。その姿を尻目に、アリテシは社の入口まで一旦退く。

「アリテシ」

タイミング良く入口が開いて、日に焼けた黒髪を持つ神主が姿を現す。アリテシの淡い桃色が、彼の深い緋色を見据えた。

「うちに避難した神と、関東に社を構える神の総数が合わん」

「……合わん…?…足りん……?」

神主は頷く。アリテシは社の前の戦闘と神主の顔を交互に見て、顎に手を当て思案する。そして、行き着いた可能性に、彼女の眉がひそりと動く。

「…………まさか」



「ミュエラ!」

関東の西の端、かつては改革と発展を願う者たちで賑わったと古い記録に残る宵科神社の本殿で、神主の切ない悲鳴が響く。

「最寄りの大社に避難しろって言われたでしょ!寝てる場合じゃない!起きて!起きろミュエラ!アリテシんとこ逃げるよ!」

神主は眠りこける神の体を揺する。しかし、青年の姿をした神は一向に起きる気配を見せない。それどころか何やらもにょもにょと寝言じみたことを言っている。
今、外で何かが起こっているのだ。神に危険をもたらす何かが。逃げろと言われたのに、肝心の神が行動できねば意味がない。

「ミュエラ!頼むから起きてってば、ミュエ」

ラ、と、神の名を呼ぶ声はけたたましい音に掻き消される。社の扉を荒々しく開き、ぞろぞろと中に人が入ってくる。彼らの手には、金槌からナイフから、さまざまな凶器。

「ひ…ッ」

神主の喉から乾いた音が漏れた。先頭で竹刀を持つ男が神主に駆け寄り、竹刀を振り上げる。反射的に目を固く閉じ、眠る神の体をぎゅっと抱き締める。痛みが来る。そう思った。しかし、何も来ない。

「こいつら何なんですかね、伊那さま!」

「知らん」

あっけらかんとした声と、低い落ち着いた声。薄く目を開ければ、神主の目の前に二人分の背中。そして、先程竹刀を振り上げていた男が二人の足元に這い蹲っていた。

「……お…お客さん…?」

昨日、一晩だけ泊めてほしいとやって来た旅の二人組だった。軍服のような荘厳な上着を羽織る隻腕の男と、サイドテールを揺らすあどけない少女。男が首だけ振り返る。夏に茂る葉の深い色が、神主を見た。しかしすぐに彼は前を見て、一歩踏み出す。前方、襲撃者の一人が男に向かって走り出す。

「ちょ、待ってお客さん、危な……」

しかし、その言葉もすぐに消えた。ふわりと、襲撃者の体が宙を舞い、床に叩きつけられた。そのまま男は倒れ伏す襲撃者の胸を踏みつけ、腕のない左袖を振るった。

「宵科神社神主、宇佐美殿」

「宇佐美どの!」

低い声に思わず背筋を伸ばしてしまうが、続く甲高い声に少しだけ肩の力が抜けた。男は振り返らない。少女が神主…宇佐美の前に屈んで、にっこりと笑う。

「宿無き我らを一晩無償で泊めてくれたこと、感謝する」

「感謝しまーす!」

敬礼のようなポーズをして少女が男の言葉を繰り返す。その時、腕の中の神がぱちりと目を覚ました。

「宿代分くらいは働こう。故に、神域にて手荒なことを行なうのをひとつ許していただきたい。…賀古」

「はぁい!」

少女は立ち上がり、男の隣に立つ。頼もしい背中を見つめ、宇佐美は微睡む神を引きずって本殿の奥に向かった。







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