novel | ナノ
医務室の窓際に立ち、和舞は目を閉じる。匂いを感じた小動物のように鼻先がくんと小さく動いて、「おっけ」と目を開けた。

「神さまへの避難勧告は完了ってエアイエが」

「わかった」

医務室の主キヨは微笑み、手持ちの端末に声をかける。キヨやひかり、和舞の耳のイヤホンにノイズが入り、「了解」とボスの声が聞こえた。

「にしても、神さま一掃大作戦なーんて、あほらし」

神さまナメんなっつの、と和舞のあっけらかんとした様子に、ひかりは息を吐く。この状況でも余裕綽々とした彼を見ていると、安心できるのも事実といえば事実なのだが、どうにも緊張感がない。…と思ったところで、自分だけがいやに緊張しているような気がして、なんとなく視線を惑わせる。そして、彼の銀眼がシズクの姿を捉えた。
ヘヴンズゲート構成員、今は元構成員という方が適切かもしれないが、シズクからもたらされた情報、神の掃討作戦。構成員をかき集め、天子に選ばれた一部の人間が持つ神殺しの力によって、本物の神を排除するという計画。それを受け、最高神エアイエを主導に神の一斉避難が行なわれたということだが、ひかりはふと疑問を持つ。

「神さまの避難って、あれか?和舞がこの間言ってた、なんだっけ、えーと、アダなんとか」

「アダカエ?」

「それ」

確か、出雲の郷と書いてアダカエだったか。和舞はちっちっと指を振って、態とらしく肩を落とした。

「出雲郷は不便なことにキャパシティが狭いのです。神さま全員はぎりぎり難しいのです。ざんねーん」

じゃあ避難はどうしているのか、ひかりの疑問の疑問の答えを、和舞は得意げに笑いながら告げる。

「それぞれの地方に一つずつ、大社ってのがあってね?そこに集まってもらってるんだ。例えばこの辺りなら、ハトリちゃんの天命で有名な慈愛と幸福の女神アリテシの幸愛神社」

そこで彼女の名前が出て、ひかりは視線を移す。ハトリはベッドから身を起こし、心配そうに一連の様子を見ていた。ベッドのそばの椅子にはシズクが腰かけている。

「……わたし」

ハトリは自分の胸に手を当て、ぎゅっと握り締める。圧されたように苦しそうに息を吐いて、隣のベッドに目をやる。ひかりもつられてそちらを見るが、何も見えない。しかし、ハトリには見えるのだろう、呻き苦しむ死と雨と消滅の神が。

「ひかり」

突然名を呼ばれ、大袈裟に肩を揺らすひかり。見れば、シズクがひかりを見つめていた。睨みにも似た目だった。縋りつくような色にも見えた。

「僕も連れて行ってくれないか」

まっすぐに向けられる紫に、ごくりと息を呑むひかり。しかし、はぁ、と大袈裟な声混じりの息を漏らして、

「駄目だ」

ぴしゃりと言い放たれた言葉に、シズクは唇を噛む。でも、と言いかけて、ひかりの追い打ちがかかる。

「組織はまだお前のことを完全に信用してない。ここでキヨ先生に見張られてろ」

その時、ザザ、とまたイヤホンからノイズ。しばらくしてひかりは「了解」と端末に声をかけた。イヤホンに指先で触れて、ひかりはハトリのベッドに歩み寄る。

「前線に出るわけじゃないんだけど、ボスんとこ行かなきゃ。ごめんな、ハトリ」

「…大丈夫。帰ってくるの、待ってるから」

「ん」

そしてひかりはハトリの髪を撫で、空いた手で自分の頬を示す。顔を真っ赤にしながらもついとハトリが顎を反らせば、ひかりは彼女の顔の前に頬を差し出し、彼女の唇を受ける。そのまま彼女の肩を引き寄せ、軽く抱き締めた。ひかりがハトリに何かを耳打つと、彼女は小さく頷いて、それを確認したひかりはハトリから体を離した。

「じゃあ、行ってくる」

行ってらっしゃい、と、ハトリとキヨの声が重なった。ひかりが医務室を出て行き、和舞がにやけ顔でその後を追う。二人を見送り、キヨは「さて、忙しくなるね」と机に向かった。扉を見つめて突っ立ったまま、シズクはただ何も言わない。言えない。

「…そんなつらそうな顔しないでください」

そんな彼の横顔を見て、ハトリは声をかける。シズクは自分の顔に手を当てて、そのままくしゃりと前髪を掻き上げる。

「……僕は」

「シズク先輩は」

ハトリの声が重なって、シズクは顔を上げる。彼女は視線を少しだけ迷わせながら、やがてシズクをまっすぐに見つめた。

「…シズク先輩は、ひかりくんたちが倒そうとしてる人たちにとっては裏切り者、だから。…ひかりくんたちはきっと、エオくんや他の神さまだけじゃなくて、シズク先輩も守ろうとしてるんだと思います」

「……何を根拠に、そんな」

居心地悪そうに苦々しく言葉を吐き出すシズクに、ハトリは微笑みかける。その笑顔は、見ているだけで心が安らぐようで、そして、

「だってさっきひかりくん、シズクを頼んだ、って言ってましたもん」

とても心強く、シズクの胸の奥を満たしてくれた。








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