novel | ナノ
状況が全く理解できない。仲間だったはずの男が天子と呼ばれ、気を失った愛しい彼女がそこにいて、彼女を連れてきたのが改心したと思っていたあの男で、彼らが彼女を巡って手を組んでいたのかと思ったのに、青年は天子にナイフを突きつけていて。

「何がどうなってんだよ!」

ひかりの声は虚しく部屋に響くだけ。

「あんたは僕の神さまじゃなかったみたいです」

ひかりの声など届かぬ場所、シズクは冷めた目で天子を見下ろしている。天子は顔色一つ変えない。張り詰めた空気を壊すのは、ちっ、という乾いた音。

「何を言ってるのですか紫梟?あなたは天子さまを唯一無二の神として紫の梟の名を賜ったのでしょう?」

天子の傍らにある純白が、不愉快そうに目を細めてシズクを見上げていた。

「そうだよ、そら」

それでもシズクは揺らがない。純白……そらの目尻がぴくりと動く。シズクは続ける。

「僕は神さまが嫌いだった。神さまなんていなくなればいいって思ってた。だから、神になろうとした天子さまだけを神だと思うようにしてた。あんたが神になるために、あんたにこの力をもらった。神を傷つけられる力を。神にまつわるものを全て断ち切れる力を」

シズクの言葉に、ひかりはひとつ不気味さを覚えた。何故今まで誰も疑問に思わなかったのだろう。ただの人であるはずの、ましてや神見愛者ですらないシズクが、神の天命を断ち切るなどといった人間離れした所業を為せていたのかということを。

「……シズク…」

さもシズクの力が当たり前のものであるかのように、誰も何も思うことなくシズクと対立し、話をし、解放した。何故か?分からない。点が浮き上がるばかりで、線にならない。

「でも」

いろんなことが起こりすぎて、ますます混乱するひかりの耳に力強い声。

「でも、僕はやっぱり神さまを、…エオをもう一度、信じてみようと思った。それだけです」

そしてシズクは何食わぬような動作でハトリの体を天子の腕から奪い、彼と距離を取る。

「やっぱり郎女は返してきます」

天子に背を向けるシズク。ちらりとこちらを…青葉を見たというよりは青葉が隠し持つカメラを見たような気がしたのは、ひかりの気の所為だろうか。

「こいつを待ってる奴がいる」

…気の所為ではないような気がした。その時。

「殺せ」

記憶の底で耳慣れた声。なのに、その色はどこまでも冷たく。
シズクの背後から、三人分の影が飛び出す。一人は包丁を、一人はバールを、一人は金属バットを。シズク。叫んでも届くはずもない。
しかし、シズクの体に異変はなかった。ゆっくりとシズクが振り返る。三つの凶器は、シズクの体の手前で動きを止めていた。まるで、見えない何かに阻まれているかのように。

「エオ」

シズクの口から、声ともつかない音が漏れた。先程まで気丈ともいえるほど表情がなかった彼の顔が、みるみる歪む。

「エオ!」

凶器を構えた三人が一旦シズクから離れる。シズクは膝をつき、腕を伸ばす。まるで何かを迎え入れるかのように。ひかりには見えない。けれど。

「エオ!!」

シズクの悲鳴で分かった。そこにいるのは、死と雨と消滅の神。何が起こったのか分からないが、見えざる神に何か一大事があったことだけは分かる。その時、一時は離れた三人が大きく振りかぶってシズクに襲いかかろうとして、
一人の口から太い針が飛び出し、一人の首が不自然に折れ曲がり、一人の背中から鮮血が飛び散った。そして、それはシズクの前に降り立つ。

「ぶっころす」

女王蜂はあどけなさと狂気を孕んだディープピンクの目を潤ませ、

「ぶっころした」

頬を伝う雫を舐め取り、嗤った。

「撤退よ」

凛とした声と共に映像に映る灰色の影。

「待ちなさい貴様ら……!」

純白の声がぶつりと途切れ、映像はブラックアウト、そして。

「薔薇!シャコンヌ!」

「青葉、それに和舞」

真っ暗になった部屋の照明がついて、スクリーン裏の影から彼らが帰還した。








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