novel | ナノ
一般教育棟の中庭のテラスで、教授から借りた学術書のページをめくりながらハトリは溜息をついた。本を閉じ、表紙に描かれた古風な絵に視線を落とす彼女の頬に、冷たい何かが当たる。ひゃっ、と高い声を上げて反射的に椅子から立ち上がるハトリはそのままバランスを崩すが、転ぶことはない。

「何してんの」

一つ年上の先輩であり、神さまを巡ってかつて一悶着のあった青年、雨宮シズクがハトリの腕を掴んでいた。

「わ、わわ、ご、ごめんなさい」

「いいよ、別に。てか、驚かせてごめん」

シズクの手に紙コップがあることに気付いて、あっ、とハトリは声を上げる。さっきの冷感はシズクの仕業だったのか。シズクはハトリから手を離して、彼女に紙コップを差し出す。

「あ、ありがとうございます」

「いいよ。そこの自販機で買ったやつだし」

紙コップの中を覗けば、透けた液体が氷を映していた。一口つけて、甘酸っぱさが広がる。白ぶどうジュースだった。

「鶴科ハトリ」

頬を緩めるハトリを横目に、シズクは口を開く。ハトリの赤い目が、シズクの紫をまっすぐに射抜く。

「最近、なんか元気ないね」

「………え」

「いっつも一緒にいる友達がいないから?」

いつも一緒にいる友達。得体の知れないサークルに入って、おかしくなった友達。彼女のいつもの笑顔が脳裏をよぎり、目の奥が熱くなる。それは瞬く間にそこまで来て、つぅ、とハトリの頬を伝った。シズクは僅かながらも瞠目し、顔を伏せる。

「…ごめん」

「い、いえ、大丈夫、です」

涙を拭って、シズクを見る。彼の目は、長い前髪に隠れて見えない。

「……ほんと、大丈夫ですから。ね、シズク先輩」

それでも、シズクは顔を上げない。

「…そ、そういえば、エオルアくんが、シズク先輩を助けてって、言ってたけど、理由は教えてくれなかったけど、でも、こうやってちゃんとシズク先輩は学校に来てるし、」

なんとか言葉を紡ぐ。シズクがゆらりと顔を上げる。それでもやはり、目は見えない。…シズク先輩?と、彼の方に近寄ろうとして、

「…ほんとごめん。ハトリ」

彼女の体が、傾いだ。前髪の隙間から見えた、彼女の顔。信じられないものを見たような、絶望を孕んだ顔。まるで縋るように投げ出された手を引いて、シズクは彼女の体を担ぎ上げた。首の広い白シャツの襟が引っ張られ、彼の胸元に浮かぶ紫色の梟が露わになる。

「ぐっじょ〜〜ぶ紫梟(シズク)チャァン」

そして、シズクに声をかける男が一人。派手な金髪に赤いメッシュがピアスだらけの耳にかかり、赤い目がシズクを見ていた。長い襟足がかかる首筋には、赤い鯉が描かれていた。

「人払いご苦労さま、赤鯉(アカリ)」

「授業中だから払うまでもなかったねェ、この子が空きコマに勉強するテのマジメな子で良かったァ」

アカリと呼ばれた男はシズクに歩み寄り、ハトリの顔を覗き込んでニヤリと笑う。そして彼女の顔に手を伸ばそうとしたが、シズクに払われた。それでも男の笑みは消えない。

「帰るヨォ紫梟チャァン」

男の足元には、先程まで彼女が飲んでいたジュースの紙コップ。しかし彼は機にすることなく、散乱する氷を踏み締めて歩み出す。

「天子さまがお待ちだァ」








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