novel | ナノ
「ボスは覚えてるだろ?」

斎の言葉に、風紋は頷く。

「天国の島、天売匠」

「みんな忘れちまってるんだよ、たっくんのことを!俺らだけじゃない、世間からヘヴンも消えてる、この世界からたっくんがいなくなってる!」

風紋は顎に手を当てたまま何も言わない。いつも彼の薄い唇に浮かんでいる読めない笑みが、今はない。

「なぁボス、俺にたっくんを探させてくれ。どうせ他のみんなは忘れちまってるんだから、俺しか動かないだろ」

「……そうだね」

しかし、彼は明確なゴーサインを出さない。口の前で指を組んで、眉をひそめるばかり。斎は歯がゆそうに小さく舌を打って、「ボス」と催促する。

「…斎、もう少し待ってはくれないか」

「ボス」

「天国の件もだが、大きな別件がひとつある。ここは慎重に」

「なら俺一人でやる!」

風紋の言葉も半ばに、斎は部屋を飛び出す。風紋は何も言わない。追いかけることもない。ただ、ただ彼女が出て行った扉を見つめて…拳で机を叩いた。

「くそ……」

ひび割れた机の表面を指でなぞれば、棘が刺さる。白い指に茶色い木の棘が埋もれ、やがて赤が滲んでくる。そのまま指先を唇に押し当て、前歯で器用に皮を剥がして棘を抜く。口の中に鉄の味が広がる。
その時、部屋の扉がノックされた。「入れ」と声を上げれば、入ってきたのはさくらだった。手を引っ込めかけたが、さくらだと認知してそれはやめた。

「…風紋さま、お怪我を」

「構うな。それで、どうした」

は、はい、と、狼狽えた風にさくらは脇に抱えていたファイルを開く。

「…とうとう、奴らが」

風紋は目を見開き、さくらの方を見遣る。彼女も彼女で、言いにくいといった様子を隠し切れていない。しかし風紋の視線に負けたように、ごくりとひとつ唾を飲み込んで、口を開いた。

「ヘヴンズゲートが、動き始めたようです」

突風が吹いた、気がした。部屋に窓はないけれど、壁の向こうで風が唸る音がする。風紋は一言、「そうか」と返して、何もない壁を、否、見えない壁の向こうの外を見つめ、唇を引き結んだ。

「……嫌な風だ」








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