novel | ナノ
雨宮シズク。否、雨宮雫。彼の故郷は東北の中心都市さ。そう、俺の膝下だよ。
彼は父親を早くに亡くし、母親と二人で生きてきた。元々東北の人々は信心深い者が多いのだけれど、この母子も例外じゃなかった。俺の神社によく参拝に来てたし、俺の姿が見える幼い彼と遊んだりもしたね。

そんなある日。あの日は豪雨だった。河川が氾濫して、避難勧告が出るほどに酷い雨の日。避難途中に雨で足を滑らせて、二人は川に流されてしまった。幸いすぐに救助されたけど、二人揃って意識不明の重体さ。

その時、俺は気付いた。いつの間にか、彼らの天命が複雑に絡み合ってしまっていたんだ。
普通の天命は個々人のもの。なのにこの母子は、お互いの天命が失敗したあやとりのようにぐちゃぐちゃに綯い交ぜになっていた。

天命というのは、生から死までの人間の一生の線路のようなもの。天命を与えれば、後は神は手を離すもの。だからたまにあるんだ、神の手を離れた天命が神の意を介さないところでおかしなことになってしまうなんてことは。

その母子の天命は、どちらかの命がここで終わることを示していた。どちらが終わるかは分からない、けれど、必ずどちらかの天命が尽きる。
きっと、先に目覚めた方が生き延びるんだろうなとは思ってた。そうこうしてたら、先に目覚めたのは母親の方だった。あぁ、死ぬのは息子か。その時はそう思ってたんだ、でも。

「エオルアさま、どうかこの子を助けてください。わたしはどうなってもいいから」

その言葉を聞いてからのことは、正直よく覚えていない。母親はまた昏睡状態に陥って、目を覚ましたのは息子の、雫の方だった。二人の絡まった天命はほどけてて、母親の天命がもうすぐ終わろうとしていた。多分、自分で覚えていない間に、俺は、二人の天命に何かしたんだろうね。
だって俺、死の神だから。

そこから俺は、雫が必死に祈っても願っても、天命だからと何かすることはなかった。そうしてるうちに雫は俺の神社に来なくなった。風の噂で、母親が死んで、雫は親戚の家をたらい回しにされて、別の地方に移ったって聞いた。それでいいって思ってた。神さまとしての信用を失う程度には作為的な死だったんだ、俺みたいな酷い神さまのことなんて忘れるべきだって。…今思えば、雫に会うのが怖かっただけなのかもしれないね。自分ばっかりびびってて…あんなに自分を慕ってくれた子の苦しみや寂しさから目を背けてたんだ。



「……そのこと、シズクに話さなくていいの?」

「いい。俺の中に留めておく。でも、彼を傷つけたのは俺だ。何かしら彼にしてあげたい。……それに、神さまによる人間の特別扱い。これは、エア姉や俺だけじゃない、全ての神が見直していくべきことだと思う。手を打たなきゃ」

エオルアの目は、真剣だがどこか悩ましげな色を宿していた。和舞はそんな神の様子を見て、どこかむず痒そうにしている。その時、彼の元に連絡が入った。



「釈放するわ、雨宮シズク」

最低限の生活ができそうな小部屋の扉が開いて、薔薇戦争がシズクにそう告げる。シズクは椅子から立ち上がって、どこか不敵な笑みを浮かべた。

「釈放、ね」

まるで犯罪者みたい。と、彼の言葉が小さく紡がれる。薔薇戦争は彼を部屋から出して、彼の腕を掴んで白い壁の長い廊下を歩く。

「いいの?また誰かを襲うかもしれないよ?」

「そうね、その可能性はまだ残っている」

「じゃあなんで出してくれるの?」

「これからあなたをマークしておけばいいだけの話。…手は打っているのよ」

その時、シズクはふっと肩の辺りに重圧のようなものを感じて足を止めた。その圧はまるで、"何かが取り憑いた"ような。

「俺がいる」

黒い髪に痩せた土色の目、病的に白い肌をした神がシズクの目の前に立っていた。

「君は、寂しがり屋みたいだから。俺が一緒にいてあげる。同郷のよしみだ」

シズクの紫色の目が見開かれる。その頬が淡く色づいて、唇がわななく。ふっと顔を背けるが、その肩は小さく震えていた。

「そういうのが嫌いだっつってんでしょ…」

噛み付いてくるシズクの言葉に、エオルアは小さく笑う。そして彼の肩を軽く叩く。

「そういえばそうだったね。でも大丈夫。基本的には俺東北にいなきゃだから、ずっといるなんて無理。特別扱いしようにもできないから。だから大丈夫。でも、君を見張ってる」

うるさい、とエオルアを突っ撥ねるシズクの声は、震えていた。そうしているうちに建物の入り口に到着して、自動ドアが開く。
空はどんよりと曇っていて、遠くで雨の匂いがした。








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