「……ハトリ……」 自分の右手がずっと握り締めている彼女の左手。その手を両手で包み込む。あたたかい。その手を頬に寄せる。 「……ひ、かり、くん……」 その時聞こえたか細い声。自分の耳を疑ったが、自分の両手が握る白い細い指が、自分の手を握り返すのをひかりは確かに感じた。 「………ハトリ…?」 彼女の顔を覗き込む。眠る前までは固く閉ざされていた赤い瞳が、うっすらと開かれていた。その視線がゆっくりと彷徨って、ひかりの銀と交錯する。 「ハトリ……っ!」 こみ上げる感情を抑えることなどできない。ひかりは感情の波に押し流されるように、急に体の力が抜ける。ハトリの顔のすぐ横、枕に顔を埋めた。 「やったー!ハトリちゃん起きたー!おれってば天才ー!」 そして背後から聞こえた大声に、ひかりはびくぅっと体を震わせて体を起こした。振り返れば、そこにいたのは和舞。和舞のそばにある小さなテーブルには、分厚い本が何冊もうず高く積まれている。その本の全てにカラフルな付箋が挟まれていた。和舞は頭の上に眼鏡を乗せ、腕に赤い表紙の本を抱え、ガッツポーズを決めていた。 「…和舞てめぇ……」 「あ、ひかりも起きた?いやでもハトリちゃん起きたから良かった良かったー」 ハトリが目覚めた感動もひとしおに、ひかりは和舞を睨めつける。しかし、手のひらに感じたハトリのぬくもりがひかりの煮えたぎった頭の中を鎮めていく。 「……ひかりくん……」 ハトリが体を起こそうとする。ひかりは彼女を手伝おうとしたが、 「あ、まだ体は起こさないでハトリちゃん。今ね、神さまから天命を授かってるところだから」 和舞に肩を叩かれた。てんめい。和舞の口から飛び出た言葉に、ひかりは眉を顰めて彼を見る。 「天命って何だよ」 ひかりの問いに、和舞はにやりと笑う。そして頭の上に乗せていた眼鏡をかける。どうやら度は入っていないらしい。 「人間は皆、天命というものを神さまから与えられる。天命っつーのは、これくらいの時にモテ期来るよ〜とか、これくらいの時に死にたくなるような悩み抱えるかも〜、みたいに、かなりざっくりしたものなんだけどね。でも、天命は人間が生きていく上で必要な、いわば線路みたいなもんなんだ」 和舞がベッドまで歩み寄って、ハトリに笑みを投げかける。そして「ちょっとごめんよ」とハトリの服の胸元に手をやり、ひかりの慌てた声を聞くことなく服をぐいっと引っ張った。 「……これは…?」 ハトリの白い肌の上に、毛筆で書かれたような赤い紋様が浮かんでいた。 「ハトリちゃんはあの夜、肉体的には何にも斬られてない。斬られたのは、ハトリちゃんの天命だったんだよ」 その紋様を指先でなぞりながら和舞は口を開く。よく見れば、それはぼんやりと赤く発光していた。 「……でも、なんでハトリの天命を」 「さぁね、知らない。でもまぁ、天命がないと人間は生きていけないからね、ハトリちゃんは今こうして新しい天命を神さまから……今は慈愛と幸福の女神アリテシエリアから授かってるってわけ」 「…ってことは、今までハトリは死んでた、ってこと?」 んーん、と和舞は首を横に振る。 「死も天命さ。だから天命を失ったハトリちゃんは、生きてもなくて死んでもなかった、ってわけだねぇ」 はいごめんね、とハトリの服を正し、眼鏡を再び頭の上に乗せる。そして手にしていた本を閉じて、机の上の本の山に載せた。 「まぁ、とりあえずハトリちゃんが起きた。で、犯人の持つ力がどんなものか分かった。それだけでかなり前進したんじゃない?」 ひかりは頷く。そしてハトリの方に向き直って、彼女の額に額を重ねた。「ひかりくん」「ハトリ」互いが互いを呼び合う声はどこかしら甘い。 和舞は二人を見ることなく、本の山を抱える。そして一度だけ二人を見て、医務室の扉に向かった。 「……なんかまだちょーっと、引っかかるんだよなぁ…」 和舞の呟きは、誰の耳にも留まらない。 [ back to top ] |