novel | ナノ
その日は、一日中雨が降りっぱなしだった。

「最近雨多いなぁ、梅雨シーズンってわけじゃないのに」

安物のビニール傘を差して、和舞ははぁと溜息をつく。雨自体はどうでもいいのだが、このじめじめした感覚と、傘の花が道いっぱいに咲き誇るのはどうにもいけ好かない。こんな日に限って主人たる図書資料室の室長は買い出しを頼むのだから、一体全体どうしたものか。

「近道して帰ろ…」

道行く人たちを掻き分け、和舞は路地裏の道に逸れる。適当に屋根を飛んで行けば帰れるだろう。

「雨だがや」

「そげなー」

ふと傍らから聞こえた声に、和舞は適当に相槌を打つ。ふわりと舞い降りたそれは、赤い番傘を差して頬を膨らませていた。ちらりと横目に見て、和舞は口角を釣り上げる。

「なんや、エアは雨をそぶけとるかや」

「そぎゃんこたね!雨はエオの………」

けたけたと笑う和舞に、それは、エアイエは噛み付いて、しかし言葉が詰まる。「……どげした?」和舞が立ち止まり、エアイエを顧みる。エアイエは神妙な面持ちで、辺りを見回していた。

「……エオがおる感じがすーだわ」

思わぬ回答に、ぷっと和舞が噴き出す。

「…そぎゃんじょーとやん。エオは東北に……」

しかし、今度は和舞の言葉が詰まる番だった。傘を投げ捨てて、コートの袖から針が飛び出て、雨とともに空から降ってきたそれを受け止める。その間は一瞬、つまりエアイエの瞬き一度のみの時間だった。

「…………何しちょーだごらァ!」

桃色が一閃。銀色が雨の中でぎらつく。しかしその銀が何かを捉えることはない。

「チィッ!」

手のひらの中で針を回し、体勢を立て直す。和舞に襲いかかったそれは、人間の男だった。長い黒い濡れた前髪が、彼の目線の行方を隠しきっている。唯一感情が読めるとすれば…口元に浮かぶ愉悦。

「和舞!」

エアイエの叫び。黒い髪の隙間から紫眼が見えた。紫の視線を彼女に向け、彼はにっと歯を見せる。ゆらり、男の体が揺れて、エアイエの方に駆け出す。

「エアイエ!」

和舞の叫び。男の手には、錆びたナイフ。地を蹴ってふたりの間に割り込めば、男は小さく舌を打って飛び退いた。男と和舞が揃って地に着く。

「こいつエアイエが視えてる……」

男はとんと爪先で地面を叩く。その口元から愉悦が消えることはない。対する和舞の表情はどこか苦い。

「……和舞…」

「…エアイエ」

和舞の声色は、単調だった。けれど、エアイエは気付いていた。その色が、歓喜に滲んでいることを。和舞の思惑を。

「おれをカミトれ」

エアイエの姿が和舞の背後に溶ける。そして、和舞のディープピンクの目が、爛々と輝く太陽に染め上げられた。

「それを待っていたんだ」

しかし男は笑みを深め、ナイフを構え直す。そのまま突っ込んでくる彼に、ちっ、と舌打ちが漏れた。それが和舞のものかエアイエのものか、あるいはふたりから漏れたものかは分からない。
針を両手に持つ。男を迎え撃つ………ことはなく、地を蹴って建物の壁に針を突き刺した。そして針を蹴り上げ、またさらに上の方に針を刺し、蹴り上げ、を繰り返し、和舞の体は建物の頂上へと。

「女王蜂は働き蜂とは違って、無闇矢鱈に人を刺さないんだ。賢いからね!」

雨降る闇の中、桃色と橙が浮かんで消えた。
男は和舞が消えた先を見上げ、そして濡れた前髪の下、紫色の視線だけを地面に落とす。そこにあるのは、和舞が落としていったビニール傘。

「…強いとは聞いてたけど……あんなに逃げ足が速いとは聞いていないよ」

ビニール傘を拾い、シャツの首元を扇ぎながら彼は嘆息する。襟から覗いた鎖骨より少し下、そこには紫色の梟がいた。






[ back to top ]