「ハトリ」 ひかりが声をかける。びくりと肩が震える。ゆっくりと、ハトリは顔を上げる。その赤い目は、揺らいでいた。 「……ひかり、さん……」 「…覚えててくれたんだ、オレのこと」 ひかりが一歩、前に出る。希望は彼の動きを横目で追いながら、何も言わない。希望の視界の片隅でハトリが動いた。希望の視線が動く。ハトリが頷いたようだった。 「…ず、ずっと、あなたのことが、し、心配だったんです…」 え、と、ひかりは面食らったような表情を見せる。ハトリはまた俯くが、腕を掴む手を下ろし、肩の力を抜く。 「あ、あの日、倒れてるあなたを見つけて、起きるまで、あなたを、見てました。あなたの顔が、とても、とてもつらそうだったから……」 ざわ、首の周りが疼いた、気がした。思わず自分の首に手を伸ばす。ひかりの動きに気付いたらしい、ハトリが顔を上げる。赤が、光る。 「あなたが起きて、ほっとしたけど、でも、やっぱり、…あなたのつらそうな顔が、忘れられなくて…どうして…あんなにつらそうにしてたんですか…?」 オレは、つらかったのか。それを、彼女は見抜いたのか。もう一度、ハトリの顔を見る。…あれ。こいつ、こんな顔だったっけ。こんなに泣きそうな顔してたっけ。…もしかして。……もしかしたら、 「鶴科ハトリさん」 ひかりの思考が止まる。希望がいつの間にかひかりより前に出て、二人の間に立っていた。 「我々に猿と雉を放ったのは、あなたですか?」 ハトリの目が見開かれる。 「……アクちゃんと、ネリくんが…あなたたちに…?」 希望の目がすうっと細まる。 「ち、ちがう、わたし、わたしは、アクちゃんとネリくんには何も…!」 「……シラを切りますか」 「希望てめぇ!」 ひかりが二人の間に割って入り、希望の胸倉を掴む。希望の手から、携帯電話が滑り落ちる。 「何も知らないんだ、こいつは!もういいだろ!」 「ですが、彼女は猿と雉の存在を認知しています」 「そんなの、鶴科の人間だからだろ!」 「とにかく話を聞かなきゃでしょう!」 「うるせぇ!」 ひかりが腕を振り上げる。希望が瞠目する。ハトリがひかりを止めようと彼の腕を掴む。 「郎女さまは関係ありませんわ」 突然耳に届いた聞き慣れない声に、空気が凍りついた。ひかりの腕を掴むハトリの手を、白い手が優しく包む。 「…ダン、ちゃん…?」 ハトリのか細い声が漏れる。ひかりと希望は飛び退くように振り返る。そこにいたのは、キャスケット帽をかぶった女。 「あれはあのクソ猿の独断行動ですの」 女はハトリの手をひかりの腕から引き離し、慈しむように両の手で包み込む。そしてひかりと希望の方に向き直り、帽子を脱いで頭を下げた。 「あなた方にはご迷惑をおかけ致しました。あのクソ猿アクトマギアとクソ雉イネリアカントに代わって、わたくし、犬のクィーダンが謝罪に参りましたわ」 女……犬は顔を上げ、帽子を被り直す。そしてもう一度ハトリの手を取った。 「アクトマギアは、郎女さまの幸福を願っての行動だったと言っていますわ」 ハトリは何も言わない。犬はただ彼女の手を撫でている。ひかりと希望は、ハトリの言葉を待つ。 「…なんで……」 声は、ただただ細く、震えていた。 「わたし……わたし、わたしを幸せにしてなんて、誰にも頼んでないじゃない!なんでみんな勝手なことばかりするの?ヘヴンさんのことだって、連れてきてなんて、わたし何も頼んでないじゃない!」 そして、彼女の言葉に、関係ないはずの彼の名前が飛び出た。 「……ハトリさん、あなた………まさか」 希望の声が上擦る。ハトリは目を見開く。自分の言葉を反芻し、そして……その目に、涙が浮かんだ。 「…ち…ちがう、違う!ヘヴンさんは、ヘヴンさんは……!」 犬の手を振り払い、ハトリは耳を塞いで蹲る。神社の境内に響くのは嗚咽。希望は真剣な顔つきでハトリのそばに歩み寄る。止めるようにひかりが彼の腕を掴んだが、容易く払われる。 「……鶴科ハトリ。あなた、何か知ってますね?」 「ちがう!」 悲鳴にも似た声。「貴様」と犬が希望の肩を掴んだ瞬間。 ハトリの体が、びくりと大きく痙攣した。 「あー、もう、馬鹿ですねぇ、ハトリ。まぁ、その愚かしさもまた愛おしいんですけれども」 ハトリが声を発する。しかし、先程までの怯えたか弱い少女の声ではなかった。 ゆらりと、ハトリが顔を上げる。赤かったはずの彼女の目が、深い蒼を映していた。 [ back to top ] |