novel | ナノ
「では、本題に移りましょう」

希望の言葉に、その場の空気が少しばかり凍りつく。ひかりは居心地悪そうに目を逸らしたりそわついたりしていたが、希望はいつもの通り微笑んでいる。懐から名刺ケースを取り出し、全員に名刺を配る。配り終えたところで、彼は席についた。

「ヘヴンさん、もとい天売匠さんが行方不明だということで、調査及び捜索の依頼を受けて参りました、私立探偵の季朽希と申します。で、こちらは勇ひかり。私の助手です」

芸達者な奴、と、希望の口から飛び出る?偽りを聞き流して、会釈をしながらひかりは思う。探偵という肩書きと名刺は、ボスである風紋が用意したものだ。秘密結社神見愛者という本当の名を売って仕事をするわけがない、というのは、この界隈で生きる上では常識であり、ましてや依頼の内容が輝かしい表舞台と関わるものであるから尚更であろう。

「匠さんが行方不明になる直前まで一緒にいたのはカエさんと伺ってますが?」

「うん、僕だよ」

希望の問いかけに、黒髪の男、カエはひらりと手を挙げる。ひかりは資料に目を落とす。
カエ、本名は匂坂香衣。20歳。身長168cmとやや小柄。匂坂家は香りを嗜む香道の家元であり、日本四大伝統芸道の一角を連ねている。香道の匂坂、茶道の焔籐、書道の道墨、華道の荊華院…と、その三文字を目にした瞬間、ひかりは顔を歪めて資料から顔を上げた。そしてひかりの視界に入ったカエは、んー、と顎に指を添えて考え込むような仕草を見せている。

「…三日前、なんだよねぇ。ちょうど音楽番組の収録が終わった後。スタジオを出て、楽屋に戻って、帰り支度して。ルストは急ぎで先に帰っちゃって、鐘撞さんも番組のディレクターさんとお話ししてたから、僕とヘヴンだけだったよ」

「そして、匠さんはいついなくなったんです?」

「んーとね」

カエは眉根を下げて唸る。カエの隣、ルストはというと、カエと問答を重ねる希望をじっと見つめていた。

「そうだ、一緒に楽屋を出ようとして、で、ヘヴンが先に出たの。僕も後について楽屋を出ると、そこにヘヴンの姿がなかったんだ」

「…ずっと一緒にいたんじゃねぇの?」

「そうなんだけど…楽屋の扉を閉めるために一度だけヘヴンに背を向けたのさ。その間にいなくなってた」

ようやく口を挟んでくるひかり。ひかりの問いに、カエは肩を落として答える。

「僕らの楽屋は長い廊下の先の一番奥だったから、もし先に進んでたとしても、たった数秒で姿を眩ますなんてできないはずだよ。曲がり角までは、どんなに早足でも少なくとも10秒は歩かなきゃいけないと思う」

「まるで神隠しだ、って鐘撞さん言ってたな」

「えぇ」

カエの説明を補うようにルストが口を開き、それを鐘撞が肯定する。ルストねぇ、とひかりはルストの資料に目を通す。
本名、季朽枯羽。19歳。身長173cm。季朽家は、貴族である荊華院の公式な分家筋……また荊華院か。ひかりは眩暈と吐き気を覚え、口元を押さえる。荊華院は、嫌いだ。文字を見るだけで虫唾が走る。
そして、だんだん落ち着いてきて、ひかりはふと思い出す。今、自分の相棒として働いている彼…希望の本名は何といったか。

「おい希」

「なんですか枯羽」

今しがた言葉を交わし合った二人は、それぞれが口走ってしまった名前にあっと声を揃えて固まる。その場にいる面々が目を見開く中で、希望はすぐに破顔した。

「すみません。今はプライベートを持ち込んではいけませんね」

「…いや、俺の方こそ悪かった。公私混同だった」

……あぁ、やっぱり。ひかりは二人が親戚なのだろうということを理解し、はぁ、と溜息をついた。荊華院に絡んでいるだけで、彼らは荊華院ではない。多分、普段通りに接することはできるだろう。自分が嫌いなのは、荊華院そのものなのだから。
ルストは咳払いをし、姿勢を正す。そしてその枯れ草色の目が、希望を見据えた。

「……、探偵さん、俺たち、そろそろ移動しなきゃなんで。せめて鐘撞さんだけでも先に」

「えぇ。お時間が限られているというのは最初から分かりきってたことですし、構いませんよ。…しかし、何故鐘撞さんが先に?」

「先に現場入りして、ご挨拶などに伺わなきゃなんですよ。ワタシ、彼らのマネージャーですもの」

「お仕事でしたら仕方ありませんね」

どうぞ、と希望に促されるまま、鐘撞は身支度を整え、「失礼します」と言い残して退室する。

「お二人も早めに出なきゃですよね」

「まぁね」

カエが応じている横で、ルストは少しずつ帰り支度をし始めている。

「俺は特にもう気になることはありませんが、ひかりは如何ですか?」

「……ん」

「はい。では、ユートピアのお二人、ありがとうございました。お時間を取らせてしまって申し訳ありません」

「んーん、こちらこそありがとね。ヘヴンのこと、頼んだよ探偵さん」

「はい」

そして二人がいなくなった会議室で、残った二人は各々重い息を吐き出す。

「思ってた以上に手がかりになりませんでしたねぇ」

「"神隠し"、だもんなぁ」

「それはただの比喩でしょう。いやー、なかなかヘビィな案件ですよ、これ」

希望は携帯電話を取り出し、操作して耳に当てる。ひかりは希望に背を向け、部屋の扉の方へ向かう。

「ちょ、ひかり?どちらへ行くんです?」

「気になることがあるからちょっと行ってくる」

「行くってどこ……あっ、ボス、お疲れ様です。あの、収穫としてはですね……」



そしてボスへの報告を終えると、部屋には希望しか残っていなかった。

「…全く、世話のかかる新人ですねぇ…!」







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