novel | ナノ
「天国が拉致されたぁ?」

部屋に響く流沙の声に、隣にいた和舞が耳を塞ぐ。うるさいなぁと言おうとして、和舞の口が「う」の形になった瞬間、「うるさいわよ流沙」と、凛とした声に先を越された。和舞はそのまま椅子の背もたれに倒れこみ、ぷは、と行き場をなくした息を吐き出す。そんな彼を目にも留めず、薔薇戦争は右手を前にかざし、人差し指の爪をなぞる。

「香衣から聞いたから、ほぼ確かだわ」

「カエ?」

「カエって、あの、天国がいるアイドルユニット『ユートピア』の?」

薔薇戦争の口から飛び出た名前に、サラバンドと汐里が顔を見合わせる。次いで薬指の爪をなぞり、目を細めて薔薇戦争は「えぇ」と肯定を示した。

「なんで薔薇戦争がアイドルと知り合いなの?」

「彼、わたくしの幼馴染だもの」

「…お、おさななじみ?」

「えぇ。彼の実家は香道の家元である匂坂家なの。わたくしは華道の荊華院。芸を極める家同士、交流があったのよ」

まぁ今はそんなこと関係ないけれど、と、ようやく薔薇戦争が顔を上げる。彼女の視線の先には、風紋。彼はいつものように読めない笑みを浮かべ、「さて」と声を漏らす。途端に、空気が締まる。

「彼は今まで、『神見愛者の素性がばれないように』という願いをかけていた。その願いは、我らは勿論、彼自身にも掛かっていた。それが解かれ、彼は奪われてしまった、ということだ。さて、これはなかなかに由々しき事態だね」

その場に集まった面々は一様に表情を曇らせる。その中で微笑んでいる風紋に対し、「ボス」と、同じように笑みをたたえた希望が声を上げる。

「組織の総力をぶつけてさっさと取り返すのがいいんじゃないんですか?神見愛者が俺たちを潰したように」

希望はにやにやと、どこか自虐しているように笑みを深める。そうだね、と風紋は腕を組み、思案するように顎に手を当てる。

「だが、今回の相手は、希望のように全面的にぶつかってきたわけじゃない。故に、相手の正体が不明瞭だ、そんな状態でこちらからぶつかりにいくことは避けたいね」

「…ふむ、成る程」

すんなりと納得し、希望は笑みを崩す。しばしの沈黙。破るのは、勿論風紋。

「まずは状況を把握するために動こう。相手が何なのか分からないうちは動きたくない。自殺行為になりかねないしね」

「そうね」

風紋の言葉を聞くや否や、頷き立ち上がる薔薇戦争。流沙も後に続くように立ち上がろうとして、「薔薇戦争」と風紋の声に動きを止めた。扉の前で薔薇戦争も立ち止まり、振り返って我らがボスを見る。

「今日は違う者を仕事に出そう。薔薇戦争と流沙は休んでいてほしい」

「……けれど、」

「命令だ」

そこにいる誰もが、乱れ無き威圧を感じ取る。薔薇戦争はひと呼吸置いて、再び自分の席に座した。薔薇戦争が着席して肩の力を抜いたのを確認し、風紋は会議室を見渡す。

「希望」

そして突然の指名に、希望は肩を揺らして風紋を見た。「…俺ですか」と苦く笑えば、風紋が頷く。

「ここにも随分慣れたろう。そろそろ君の本領を発揮してもらいたいね」

「慣れたといえば慣れましたけど…俺一人でいいんです?」

「一人ではないよ」

風紋の視線が動く。その場にいる全員が彼の視線の先を追う。彼らの視線の先、そこには堂々と机に突っ伏して寝ている青年。

「ひかりと一緒に行ってもらいたい」

隣の和舞が彼を文字通り叩き起こす。「いってぇななんだよ和舞…」と憎まれ口を叩く彼は、ひかりは、全員の視線が自分に向いていることにようやく気付く。

「……オレ?」

風紋と希望は、ひかりに向かって満面の笑みを浮かべた。




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