novel | ナノ
医務室とは、いわばこの建物内の病院である。常に清潔でなければならないし、衛生面も整えておかなければならない。
そんな医務室の主も勿論、清潔感に溢れていた。くすんだ黒髪を一纏めにし、纏う白衣には染み一つない。中性的な顔立ちをした彼女は、カルテを手にしながらコーヒーを飲んでいた。
すると、医務室の扉がノックされる。「どうぞ」心地良く響く声で応えれば、扉が開き……清潔感とはかけ離れた白の少年がやって来た。

「おや、流沙」

髪と同じ色をした目で少年……流沙を見る。いつでも顔色が悪いが、今日はさらに蒼白だった。恐らく、仕事から帰ってきたばかりなのだろう。

「……キヨ、ベッド貸して」

「そんなことだろうと思ったよ。どうぞ」

流沙は壁を伝いながらふらふらとベッドに近寄る。医務室の主、清水淨は彼に肩を貸し、優しくベッドに寝かせてやった。

「今回も随分と血を流したみたいだね。…殺しなんて、薔薇嬢に任せておけばいいのに」

「……俺の獲物は俺が殺るんだ」

「成る程、女性に多くは殺させないと。優しいねぇ、その心意気はまことに素晴らしい」

「誰もそんなこと言ってねぇ……」

力無く腕を投げ出す流沙が横たわるベッドのそばの椅子に座り、くすくすと笑う淨。いつもは顔色が悪いだけの元気な少年も、生命活動の危機に瀕すればこうも弱々しくなってしまうのだ。

「鉄分が豊富な食事を用意させておくよ」

「……頼む……」

白衣の胸ポケットに入れていた携帯電話を取り出し、食堂に連絡する。19時頃に食事を運ばせる手配もしておいた。淨の通話が終わると、流沙は小さく「……助かる」と呟く。淨は口元に優しげな笑みを浮かべ、素直じゃないな、と言いながら彼の腕を取った。そして、手首に左手の指を添える。

「無茶はするもんじゃないよ。君の力は君自身が資本なんだ。敵は君の血があれば倒せる。傷は君の涙があれば癒える。けれど、君が死んでしまうと、元も子もないんだよ?」

「……分かってる」

「なら、少しは命を大事にしなさい。願わくば、私は君の屍を葬りたくはない。…まぁ、解剖はしてみたいけどね」

最後の一言を聞き、ただでさえ青白い流砂の顔がさらに青くなる。冗談だよ、と相変わらず真意の読めない笑みを見せれば、冗談に聞こえねー、と返された。そのまま彼は顔を背け、目を閉じる。
淨はふと笑みを消し、指先に集中する。脈も何とか安定しているようだ。彼の腕から指を離し、一旦ベッドから離れて机上のカルテにペンを走らせる。

「…取り敢えず動けるようになるまではここにいていいから。ゆっくり休みなさい」

声をかけたが、返事がない。もう一度ベッドの方に近寄れば、すう、と寝息が聞こえた。血が足りていないなら、脳もろくに働かないだろう。そういう時は眠って脳を休ませるのが一番だ。淨は微笑み、流沙に布団を掛けてやる。
淨はベッド周りのカーテンを閉め、自分の椅子にもう一度腰掛ける。コーヒーは既に冷めてしまっているが、これはこれで悪くない。カップに口を付けながら、淨はしばし思考する。

神に愛された者、と称される彼らは、誰も彼も若い。淨より年下ばかりで、流沙に至っては、まだ17歳だ。このような子供でさえ、戦う。神に愛されたから。神の慈悲を、慈愛を、他者にも分け与える為に。
淨が初めて彼らと出会った時、彼らの為に出来ることはないかと考えた。そして、彼女が見つけた答え。それは、彼らに寄り添い、彼らを支えること。
自分は彼らの役に立てていると思う。自画自賛かもしれないが、それでもどこか確信がある。
淨に一任されたこの部屋に足を運ぶ者がいる限り、淨は彼らを救っていこうと思っている。絶対に誰も死なせやしない。

カップをソーサーに置いたところで思考をやめる。すると、ふと医務室の外から気配がした。淨は応じない。呼んでも入って来ないのは分かり切っている。だが、今日は何と無く、久しぶりに呼んでみたい気がした。

「流沙なら眠っているよ。来るかい?」

扉の向こうから伝わる動揺。そして、足音がし始め、それはだんだん遠ざかっていった。彼女もなかなか素直ではない。心配なら心配だと言えばいいのに、と淨は思う。

神に愛された者達の主治医は、柔らかく微笑みながら左手でペンを一回りさせた。










[ back to top ]