ビルの屋上の柵に体を預け、薔薇戦争は刀の柄に手をかけて口を開く。声を投げかけられた女王蜂は、給水タンクの上に座ったまま、薔薇戦争を見ることなく、しかしにやりと笑った。 「うん。古い知り合い」 「……へぇ」 「かつておれを殺しかけた二人のうちの一人」 「………、…そう」 薔薇戦争の異様な間に、女王蜂…伊川和舞は何も言わない。気にも留めていないようで、彼は針を布で丁寧に拭いている。薔薇戦争も手持ち無沙汰なのだろう、俯き、少しだけ刀を動かして、手を離す。チキ、と鞘と鍔が触れる音がした。 「ねぇ薔薇嬢」 「……なに?」 顔を上げる。やはり彼は薔薇戦争を見ない。針の手入れの手は止まらない。 「あいつさ、昔はもっと強かったんだよ」 あいつ、が誰を指すのかは言うまでもない。薔薇戦争は口を噤んだまま、和舞を見つめる。彼は針に視線を落としたまま、続ける。 「昔のおれは、とにかく死にたかったからさぁ。こいつならおれを殺してくれるって、思えるくらいにはあいつ、強かったんだよ」 「……あなたが強くなった、のではなくて?」 「うん。あいつが弱くなった」 和舞の言葉を受け、薔薇戦争は何も返せない。そのまま瞬きひとつのうちに…和舞の姿が見えなくなったのに気付き、次に瞬きした時には頭上に気配を感じて、息を飲んでいる間に体が反射的に刀を抜いていて、は、と息を詰めた瞬間には金属音が響いた。彼はひらりと薔薇戦争から距離を置く。 「……あいつは、妹を守りたかったんだよ」 和舞はまだ笑っている。彼は再び針に視線を落とし、そのまま袖の内側に針を仕舞い込む。 「守るものがなくなるだけで、人間ってのは、弱くなっちまうんだよ。知ってた?薔薇嬢」 「…………いいえ」 「うん。…あんたもさぁ、流沙と懇ろになってから、いきなり強くなったんだよ?」 流沙、という名前が出た瞬間、薔薇戦争の顔が赤くなる。そんな彼女の様子を見て和舞が笑みを深めれば、彼女は耳まで赤くなった。薔薇嬢は分かりやすいなぁ、と言いかけて、飲み込む。その反動だろうか、すい、と口が動いた。 「………姉ちゃん、元気かな」 「…お姉さん、いるのね」 「うん。馬鹿みたいに強い」 そう、と薔薇戦争。ちらりと彼女を見れば、まだ少し頬が赤いものの、熱を発しそうなほどではなくなったようだ。熱くなるのが早ければ、冷めるのも早いらしい。 薔薇戦争はそのまま和舞の横を通る。彼女の波打つ黒髪が視界に映る。 「……えのりてなぁ」 ふと、薔薇戦争の耳に届いた細い声。振り返れば、和舞はどこか遠くを見ているようだった。しかし薔薇戦争の視線に気付いたらしく、彼女の方を顧みて、小さく微笑む。 「……先に、戻ってるわよ」 「うん」 彼女の足音が少しずつ遠のき、ばたん、と扉が閉まる音がする。和舞はしばらく動かない。 「…かんまえも、えのりてやなんかえ、ちんてなこと言うねな」 頭上から声がした。しかし、和舞が顔を上げることはない。僅かに口角を釣り上げるだけ。 「はは。そらなぁ」 しゃん、と、鈴のような音がする。和舞は踵を返し、扉に向かう。途中、その足取りが止まる。しゃん、とまた鈴の音がする。 「のお、エアイエ」 「……なんだや」 「母さん、まんだえらくりょーかや?」 「……あたーまいだがや」 「………そげ」 しゃん、と鈴の音。彼はそのまま扉を開け、屋内へと戻っていった。 [ back to top ] |