novel | ナノ
エスは自室のベッドに臥していた。後に暗部抗争と呼ばれることとなる事件の冒頭で、一番最初に襲撃されたのは流沙と薔薇戦争、そしてエスだった。なんとか傷は癒えて掃討作戦にも参加したが、やはりまだ全快ではない。痛む背中に、エスは苦しそうに声を漏らした。

「ハァイ、シャコンヌの君」

故に彼は気付かなかった。不意に頭上から聞こえた猫撫で声に、エスは飛び起きる。しかしやはりまだ背中が痛み、呻いてベッドに倒れ込んだ。なんとか視線を動かせば、声の主がこの組織のナースである鬼沢萌々香であることを悟った。

「……驚かさないでください、萌々香さん…」

「脅かしたつもりはないんだぜぃ。アンタが勝手に驚いたんでしょーが」

エスに跨ってずいと顔を寄せれば、彼は顔を紅潮させて目を逸らそうとする。しかし両頬を掴まれ、ぷ、と口から息が漏れた。エスの顔はますます赤くなるばかり。

「ほんとアンタ、ウブだよねー。アタシの格好見て卒倒したのはアンタが初めてだし?全く、乙女かっつーの」

ね、と萌々香はエスに擦り寄る。着崩したナース服の胸元から見える谷間を見てしまい、エスは耳まで赤くなる。態となのだろう、萌々香はそのまま胸を押し付けるようにエスの体に密着した。

「自分が守りたい人も守れず、しかも守りたい人にはさらに守りたい人がいて、アンタはその人からしたらただの仲間でしかないんだもんね。ツライねぇ」

唇が触れそうなほどエスに顔を近付け、にこりと艶めかしく微笑む。そして、舌舐めずり。濡れた唇がなんとも色めかしい。
萌々香の言葉が、研ぎ澄まされたナイフのようにエスの心に刺さる。彼女の言う通りだった。彼女が言うように、彼は、エスは、あの人にとってただの仲間でしかない。あの人の特別になんてなれない。しかし、エスの心に刺さったのは、それだけではなかった。

「アンタにも、いい人が見つかるといーね」

その言葉が、一番辛かった。

「……あー、それとも、」

エスにとってのいい人なんて、あの人以上にいい人なんて、

「おねーさんが面倒見てあげよっか?」

そしてエスは目を見開いた。自分の顎に触れている萌々香の手を掴む。

「言質、取りました」

え?と萌々香の意識が一瞬だけエスの手に向く。その瞬間にエスは痛む体を鞭打って、萌々香と立場を逆転させた。ナースキャップが外れ、金髪に近い茶髪が白いシーツの上に広がる。突然のことに、萌々香は目を瞬かせているだけだ。

「…言ったからには、ボクの面倒見てくださいよ」

エスのくすんだ灰色の目が揺れている。萌々香を見下ろして陰になったエスの顔だったが、それでも真っ赤になっていることが分かった。

「……ナニよ、」

そんな彼を見上げて萌々香は笑う。相変わらず人を見下したような笑みだが、いつもの余裕は見えない。

「クドイわ。ハッキリ言いなさいよ、アタシのこと好きだって」

エスが息を飲む気配が伝わった。萌々香の手首を掴む手に力がこもるのを感じる。つい目が合ってしまう。煽るような色をした萌々香の茶色い瞳から逃れるように、はぁ、とエスは息を吐いて萌々香の唇に噛み付いた。






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