「うふふ、よくやったわローレンスレキシィ」 「っ、は、はい、み、身に余るこ、光栄、です…」 片方の青がつうと目を細めれば、もう片方の青は頬に微かな赤を宿して俯いた。 「あなたが希望の空の半身を逃がしてくれたから、ベルキスの狙いを外すことができた」 「は、はい、き、希望の空は、ひとりでは、その真価を発揮できません、から……」 「上出来よ」 青は満足そうにまたくすくすと笑う。そしてその笑みを残したまま、青は白に溶けた。 「ふむ、なかなか面白いのである」 女は手元の資料を机の上に置き、黒縁眼鏡の奥の切れ長の目を風紋に向けた。風紋はいつもと変わらない微笑みを浮かべている。 「成る程これは、久し振りに官能小説のようなものが書けてしまいそうであるな」 「貴女にお任せしますよ、姫宮先輩」 彼女…姫宮神流は眼鏡を外し、机の上に置いた資料をもう一度手に取った。とんとんと資料の角を揃え、資料のページを一枚捲る。 「…だがしかし、もう少し…スパイスになるようなことはないのであろうか。このままではありきたりなものになってしまいそうである」 「ありきたりで構いませんよ」 「私の作家精神に反するのである」 風紋の笑みが、少しだけ歪んだ。それに姫宮は気付いたのだろうか。しかしあくまで笑みを崩さない風紋は、「揉み消してくれればそれで構いませんのに」と一言漏らし、手を絡めて机に肘をついた。 その時、部屋の扉が開け放たれる音がした。見れば、そこにいたのは茶髪の少女。紫の目を爛々と輝かせ、風紋と姫宮の前に躍り出た。 「ご苦労様、第三者機関の鳳ラミさん」 少女はニコリと笑って、姫宮に気付き会釈をする。姫宮は僅かに瞠目して、風紋を見た。「喜んでください、姫宮先輩。…この物語の実際を知ることができるようになりましたよ」風紋のその言葉に、姫宮はようやく目に見えて驚愕を露にした。そして少女に視線をやる。少女は姫宮にひとつ笑みを向け、風紋に一枚の写真を差し出した。 「見つけましたよ、"勇者のマズルカ"」 春になると桜が咲く木の下に、それは佇んでいた。寄り添うように並ぶ二つの墓標。《荊華院美桜》《季朽明日夢》それぞれの墓標の文字を指でなぞり、薔薇戦争は視線を落とす。そして、《季朽明日夢》の墓標の前の土にそっと触れた。 「……彼は、ここから這い出てきたのね」 「そうです」 薔薇戦争の背後に立っていた希望は、彼女の言葉に即座に返答する。あの日切られた艶やかな黒髪は、今では整えられて彼の肩の上で揺れている。 「昭和の初期だったそうです。既に美桜はおらず、今まで人目を憚るように生きて…否、動いていたんでしょうね」 希望の言葉に、薔薇戦争は何も言わなかった。ゆっくりと立ち上がり、墓標に背を向ける。そして希望を、その赤い目で見つめた。 「あなたは季朽の恥よ」 その赤はどこまでも強い。希望の空色は、何を思うでもなく優しく緩められている。 「番いではない季朽が荊華院本家に手を出すなど、言語道断」 薔薇戦争は腰に差していた刀を抜き、希望に向ける。しかし、やはり希望は動じない。寧ろ、どこか穏やかな笑みを浮かべている。 「まして、見捨てられた者などと名乗り、仲間を集め、我ら神見愛者に挑もうなんて、甚だしき愚行だわ」 「百も承知です」 そこでようやく希望が口を開いた。彼はすっと目を閉じ、薔薇戦争の前に膝をつく。そのまま頭を垂れれば、さらりと黒髪が彼の顔を隠した。 薔薇戦争は彼を見下ろし、息を詰める。そして刀を仕舞い、「頭を上げなさい」と命じた。言われるがまま、希望は顔を上げる。そして、赤と鉢合わせた。そして、その赤が揺れているのを見た。 「…償いなさい」 しかし、その揺らぎは一瞬にして消えてしまう。…あぁ、強いひとだ。希望は込み上げる想いを隠すことなく、笑みに乗せた。薔薇戦争の唇が動く。言葉を待つ。 「あなたはこれから神見愛者として、我らと共に歩むのよ」 希望は何も言わなかった。何も言わないまま、もう一度頭を下げる。 「…仰せのままに。我らが華、荊華院薔子」 暮れなずむ空を見上げ、彼女は首を傾げた。 「李希」 彼女の傍らで寄り添ってくれる彼の声に、彼女は顔を上げる。彼が微笑んでくれているのを見て、彼女も笑みをこぼした。 「…兄さんに、会いに行っても、いいですか?」 彼が頷かないわけがなかった。彼女は嬉しそうに笑みを深め、彼の腕に腕を絡めて擦り寄る。 「今の兄さんなら、きっと、会える気がするんです」 彼女の空色は、夕日の色を映して輝いていた。 [ back to top ] |