novel | ナノ
それは、この建物の最奥と思われる部屋にいた。闇の中に浮かび上がる白に、薔薇戦争は目を細める。

「………薔子」

白のそれは、薔薇戦争の姿を認めて微笑んだ。対する薔薇戦争は、唇を引き結んでそれを見つめている。そしてふっと力を抜き、一呼吸置いて口を開いた。

「…どうして、あなたが生きているの」

振り絞るような細い声。薔薇戦争の目に映るのは、悲しみだった。

「あなたは、ずっと昔に死んだはずでしょう?」

白の表情が固まる。そして、白は顔を伏せた。薔薇戦争も倣うように顔を伏せ、しかし歯噛みして顔を上げた。

「明治時代の第三十二代荊華院当主、美桜の番いであるあなたが、どうして今ここにいるの?!」

目の奥から熱いものが込み上げる。薔薇戦争は奥歯を噛み締めたまま刀を引き抜き、白を前にして構えた。白は何も言わない。

「答えなさい、季朽明日夢!」

地を蹴り、白に突っ込む薔薇戦争。彼女が振るう一閃を、白は片手で受け止めた。刃を握り締める。普通の人間ならば血を流すはずのその行為だが、白の手のひらから溢れたのは血ではなく…白い何かだった。

「?!」

白の指を断ち切るのも厭わずに薔薇戦争は刀を振り上げ、白から距離を取る。刃を見るが、血は全く付いていない。白を見れば、千切れた指の傷口からあの白い何かが溢れる。それが百合の花弁であることは、華を司る家の娘である薔薇戦争にはすぐに理解することができた。

「…私のことを、知ってくれていたんだね」

白は柔和に微笑み、花弁に包まれた手のひらを薔薇戦争の前に突き出す。すると花弁が弾け飛び、その下から美しい手が現れた。先程薔薇戦争が指を斬り落としたはずの、手。薔薇戦争は目を見開くが、すぐに平静を取り戻す。

「……あなたがどのように亡くなったのかは、英賀保に聞いたわ。明日夢」

「英賀保か。懐かしいね」

「あなたは明治時代までの季朽と同じように毒を呷った。そして死んだ」

「そうだ、私は死んだよ」

「じゃあ何故今生きているの?」

「私は死んだんだ」

死んだ。そう繰り返す白……明日夢は、白と黒が反転した目でただまっすぐに薔薇戦争を見ていた。対する薔薇戦争も、焦燥感にも似た苛立ちをその赤い目に宿して彼を見ている。

「…あなたは、捕まっていたわたくしを、ずっと庇ってくれていたわね」

「とても見ていられなかった」

「誰もが手に入れたいと望まずにはいられない美を持つ荊華院。あなたもその生贄にされたはずよ」

「そうだ、私は荊華院への贄だった」

「…どうして、生きているの」

言葉は違えど、質問の中身は常に同じ。そして、明日夢の表情がようやく動いた。微かに眉を顰め、しかし薔薇戦争から視線は外さない。薔薇戦争の目は、未だに明日夢に同じ問いを投げかけている。

「私だって、甦りたくなどなかったさ!」

落ち着き払っていた明日夢が、声を荒らげた。彼が腕を振るえば、百合の花弁を乗せた突風が巻き起こる。薔薇戦争は身構えてその風に耐え、明日夢を見た。

「でも、美桜が甦らせてくれた。けれど、私が目を覚ました時、美桜はもういなかった」

風が止む。辺りに百合の花弁がはらはらと散る。

「美桜のところに行きたい」

「……ならば、」

「けれど」

薔薇戦争の言葉を阻み、明日夢の言葉は続く。色を無くした瞳から、はらはらと白い百合の花弁が溢れる。あぁ、血だけでなく涙さえも花弁になるのか、しかしそんなことはすぐに頭の隅に追いやった。

「けれど、美桜に甦らされたこの体を、もう一度捨てるなんてできない」

そして彼は、着物の襟元から小刀を取り出す。薔薇戦争も、再び刀を構える。

「そうだ薔子。私と一緒に死んでくれ」

彼の笑みに、言葉に、背筋が粟立つ。薔薇戦争は刀を強く握り締め、唇を噛み、地を蹴った。
刀と小刀がぶつかり合い、金属音が響く。弾き返された反動を相殺し、もう一度明日夢に突撃する。しかし今度はかわされ、ひゅう、と刀が風を切った。しかし体勢を崩すことなく、薔薇戦争と明日夢は再度刀を打ち合う。

「……わたくしは、死ねないわ」

間近に明日夢の顔を見て、薔薇戦争の胸の奥に広がるのは懐かしさ。そして脳裏をよぎったのは愛する人の微笑み。

「わたくしにも愛する人がいるの。その人の為にも、わたくしは死ねないのよ!」

手首をひねり、刀で明日夢の小刀を弾き落とす。明日夢が身を屈めて小刀を拾おうとしたところに、薔薇戦争は刀を突きつける。

「………薔子」

明日夢は顔を上げ、薔薇戦争を見ていた。薔薇戦争は唇を引き結んで刀を切っ先を彼の喉元に向けている。しかし、その手は少しだけ震えていた。

「……明日夢、さま、」

一瞬。ほんの一瞬だけ薔薇戦争が明日夢から目を逸らす。その瞬間に明日夢は小刀を拾い上げ、薔薇戦争の首めがけて下から突く。しかし上半身を反らして間一髪でかわし、薔薇戦争はそのまま床に手をついて脚を振り上げ、明日夢の小刀を蹴り落とした。

「ああああああッ!!」

着地し、曲げた膝に力を込め、空を裂くように明日夢に突っ込む。そして彼女の刀が彼の胸を貫き、彼の背中から百合の花弁が飛び散った。

「……明日夢さま」

わたくしと一緒に死のうなんて言いながら、あなたはわたくしを殺すつもりなんてなかったのでしょう。くずおれる明日夢。見下ろす薔薇戦争。彼女の頬に、一筋の涙が伝う。
明日夢は微笑んでいた。百合の花弁は散るばかりで、止まるところを知らない。そして、胸の傷から溢れる百合は、いつしか花となっていた。

「…明日夢さま、」

彼は唇から百合の花を零しながら、薔薇戦争を見ていた。その目が柔らかく微笑む。しかし彼の視線の先は薔薇戦争の背後を見ていて、そして……瞠目した。

「……み、お…?」

え、と薔薇戦争も息を詰めた。彼の目に、絶望にも似た色が宿る。

「みお、美桜、どうして、どうしてそんな、ところ、に、」

彼の言葉は続かなかった。弾かれたように彼の胸から百合の花が咲き乱れ、彼の体は臥した。薔薇戦争は彼の体を抱き上げ、自分の背後を振り返る。そこには何もいなかった。
しかし、彼女は確かに感じた。…濃密な、死の気配を。






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