novel | ナノ
「予定通り、突入、分散した模様」

図書資料室のさらに最奥の室長室。部屋の主である雅はモニターを見つめ、ヘッドホンを首元までずらす。

「後はもうなるよォになァれ、って感じだ」

「ふむ、問題ないだろう」

彼の背後で腕を組んで立つ淨は、同じくモニターを見つめて口元に笑みを浮かべる。

「夜闇の計画は完璧だからね、後は流れのままに事が運べば………」

淨の言葉が、不自然な鈍い音によって阻まれる。振り返った雅が見たのは、左胸から包丁の刃を飛び出させ、目を見開いた淨だった。
彼女の背後で、黄金が揺らめいている。



流沙は右手の袖から仕込みナイフを取り出す。そして左手首のリストバンドを咥えて外し、左手首を容赦なく切った。血が溢れ出し、床に落ちる。すると、落ちた血からじゅうと蒸気のようなものが起こった。

「目の前でいきなり自傷されたら、どんな反応したらいいのか分かんないんだけど」

「病んでるから切ったわけじゃねぇよ」

安心しな、と言い終わらないうちに、流沙は汐風に向かって駆け出す。そして腕を振り上げ、彼に向けて血を撒き散らそうとした…が、彼の目の前で血が消えた。慌てて身を引き、流沙は汐風と距離を取る。

「僕、あまり能力使いたくないんだよね」

「今思っくそ使ったじゃねぇか!」

「仕方ないじゃん!君の血怖いもん!」

そう言う汐風の後ろで、流沙の血が床に落ちるのを見た。舌打ちをしながらも、流沙は汐風の能力が空間操作系であることを冷静に判断する。下手に肉弾戦に持ち込めば自分自身がどこかに飛ばされてしまう可能性がある。しかし血を使っての攻撃を仕掛ければ先程のようになってしまうし、何より相手を瞬殺しかねない。それは避けたかった。

「それよりさ、僕の話を聞いてよ、ね?」

汐風に隙を見せてもらわなければならない。そう解釈した流沙は、汐風の呼びかけに渋々頷き、左手を下げた。

「ありがとう。…あのね、流沙。薔薇戦争と子供を作って欲しいんだ!」

流沙は目を瞬かせ、「……は?」と吐息にも近い音を漏らした。汐風はまだ笑ったまま続ける。

「僕は能力の弊害で寿命が短いんだよ。それを克服する方法を探してたら、ある一つの仮説に辿り着いた」

「………それが、なんで俺らの子供になるんだよ」

流沙としては、いつか彼女と家庭を持ちたいという願望は少なからずある。しかしそれはあくまで一個人の意見であって、薔薇戦争が拒めば無理強いをするつもりはない。
しかし汐風にとっては、つまり流沙と薔薇戦争の家族となるかもしれないものを必要らしい。

「"香り立つ刹那"、という神に愛された能力があるんだ。それが僕の短命の克服になるんだけど、"香り立つ刹那"は、"薔薇戦争"と"流沙"の遺伝子から成るんだよ」

だからお願い、子供を産んで?
小首を傾げて顔の前で手を合わせる汐風。しかし流沙は舌打ちをし、再び小型ナイフを取り出す。

「お前に強要されてたまるかよ。これからどうして行くか、決めるのは俺と薔薇だ」

流沙の言葉に、汐風から笑みが消えた。そのまま汐風は白衣のポケットに手を突っ込み、何やらリモコンらしきものを取り出す。

「じゃあいいよ。子供を産むと無理にでも約束させてあげるまでだ」

その時、流沙の左耳のイヤホン……組織のビル内部の作戦班からの連絡を受ける為のもの……からノイズが走る。何事だ、と音に耳を澄ませば、徐々にノイズが晴れていく。

『やぁ流沙。そちらの調子はどうだい?』

いつもと変わらない、組織の医者の穏やかな声がした。しかし流沙は目を見開く。今彼がいる部屋の天井に吊るされたスピーカーから、同じように医者の声が聞こえたからだ。明らかに何かされていると察した流沙は、血相を変えてマイクが付いているジャケットの襟の裏に声を向ける。

「キヨ?! 無事か!」

『何も無かったわけではないから、厳密には無事ではないのだけれど。しかし私や雅は生きているよ』

「何故!」

声を荒らげたのは、流沙の目の前の汐風だった。彼はリモコンのようなものに口を向けている。流沙のイヤホンの向こうから、微かに汐風の声が聞こえた。

「そっちにはリヴリーがいるだろ?! なんでお前が生きてるんだよ!」

汐風の口から、知った名前が飛び出た。リヴリー。リヴリー・アルヴェーニュ。病の治療の為に組織の医者、淨を頼りとする少女を、何故こいつが知っている?

『言質だね』

目の前の汐風と、イヤホンの向こうの淨のやり取りを頭の中で整理する。そして流沙がひとつ考えついた時に、淨の笑い声が聞こえた。

『リヴ嬢が君達の仲間、所謂我らに差し向けられたスパイであることは知っていたよ。…知ってて泳がせていたのだけれどね』

「おかしい!僕の計画は完璧だ!ばれるわけもないし、何より今頃お前は死体になってるはずだ、何故生きてるんだ!」

『オマエの作戦なんぞ綻びだらけで穴だらけなんだよ、ウチの総合芸術家を見習えこのクソウジ虫野郎』

辿り着いた考えが正解であったことが分かると、今度は雅の酷い罵りが聞こえた。いつも通りで、しかし敵はそれらに翻弄されていて、流沙は思わずにやけてしまう。

『テメェの大きな誤算は、神に愛された者達以外の組織の構成員が人間だけだと勘違いしてたことだ』

雅の言葉に、汐風は青ざめる。彼は知ってしまった。組織に所属する化物の存在を。それに恐れ慄くさまが愉快で仕方なくて、流沙は袖口にナイフをしまう。

『私には全て視えているよ、進藤汐里。残念だったね』

汐風の怒号が部屋に響く。その隙。流沙が待ち侘びたそれに、彼は駆け出す。汐風が流沙に気付いた時には、彼はもう汐風の懐に飛び込んでいて。そしてそのまま流沙は、汐風の腹部に拳を打ち込む。そしてくの字に折れ曲がった汐風の体の背後に回り込み、その首筋に手刀を叩き込んだ。
倒れ込む汐風を見下ろし、流沙はようやく肩の力を抜く。そしてジャケットの裏ポケットから包帯を取り出し、口と右手を使って器用に左手首を覆った。

『正直、左胸に刺さったナイフは痛かった。だからリヴ嬢にはお仕置きをしているよ』

組織の医者にして百の目を持つ妖怪の声は、流沙の耳に、そして部屋中に響き渡った。






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