novel | ナノ
食堂の主である音無遥叉には、自室で療養している薔薇戦争に夕食を届けるという役目があった。そして組織の役人である花影新奈には、治療で隻眼さえも塞いでしまった薔薇戦争に食事を食べさせるという役目があった。二人は今、彼女の部屋に向かっている。すると、遥叉は自分の幼馴染が薔薇戦争の部屋の前に立ち尽くしているのを見つけた。

「るーひと」

「! …あぁ、遥叉…と、ニーナか」

彼は二人の姿を認め、ふっと笑みを零した。

「どうしたの?薔薇嬢に会いに来たんでしょ?入りなよ」

「うん、そうなんだけど……」

新奈の問いに頷く流沙だが、その顔はどこか暗い。二人が顔を見合わせて首を傾げると、流沙は自嘲するような笑みを見せた。

「あの日からさ、薔薇が顔を合わせてくれないんだよ」

あの日。"見捨てられた者達"に奪われた薔薇戦争を取り返したあの日の後、唯一の右目を負傷した薔薇戦争は淨の治療を受け、傷が塞がるのを待つにまで回復した。淨にも面会許可をもらった流沙が薔薇戦争に会いに行くと、待っていたのは拒絶の言葉だった。

「わたくしはあなたに顔を合わせる資格がない、ってさ……資格も何もあったもんじゃないのにな。…とにかく、会ってくれないんだ」

悲しそうに目を伏せる流沙を見て、遥叉と新奈は再び顔を見合わせる。そして頷き、遥叉は流沙に薔薇戦争の夕食を持たせた。そしてそのまま彼女の部屋をノックする。はい、と綺麗な声が返ってきた。

「薔薇嬢、ご飯の時間よ!」

「今日は僕特製たまご雑炊だよ!」

どうぞ、と返事が返ってきた瞬間。新奈が開け放った扉に、遥叉が流沙を押し込める。扉が閉じられ、流沙はたまご雑炊を持ったまま立ち尽くした。

「…遥叉と新奈?」

耳に慣れた優しい声がした。流沙が視線を向けたその先に、久しぶりに見た愛しい人。ベッドから体を起こした彼女の目には包帯が巻かれ、痛々しさが滲み出ていた。こみ上げる情愛を何とか押し留め、流沙は軽く息を吸う。

「……俺だよ、薔薇」

声を聞いた瞬間、彼女、薔薇戦争は肩を揺らし、ベッドに潜り込んでしまった。

「だめ!」

再びの拒否の言葉に、流沙は少し後ずさる。しかし唇を噛み、ベッドに近寄ってベッドのそばにあったテーブルに湯気立つたまご雑炊を置いた。

「薔薇、ご飯食べよう?」

「だめ」

「ご飯食べないと、寝れないよ」

「だめ」

「…なぁ薔薇、俺、何かした、かな…?」

薔薇戦争の言葉が止まる。代わりに、さら、と衣擦れの音がした。ベッドの中で首を横に振ったようだった。固唾を飲み、そっとシーツをめくると、薔薇戦争は枕に顔を押し付けてまた顔を隠してしまう。

「………ごめん、なさい…」

そんな言葉が聞こえた。流沙は薔薇戦争の髪を撫でる。絹糸のような黒い毛は、流沙の手の中からさらさらと落ちていく。

「……何か、あった?」

流沙が優しく尋ねると、髪を撫でる手が掴まれた。そしてそのまま腕を引かれ、流沙は薔薇戦争の方に身を投げ出す体勢になる。

「あなたがいるのに、わたくし、は……」

流沙の手を頬に寄せ、薔薇戦争はぽつりと呟いた。声は、震えていた。包帯の下から、一筋の液体が零れる。

「…よごれて、しまったの、…あなたがいるのに、わ、わたくし、わたしは……!」

そして流沙は思い出した。淨曰く、薔薇戦争は監禁されている間に拷問さながらに酷なことをさせられていたらしい。そこで正気を保つ為に、相手になる人間を全て"流沙"だと思い込んでいたとも聞いている。薔薇戦争を奪還した後に意識を取り戻した彼女は、一番初めに目にした淨のことさえ「流沙」と呼んだ、とのことだ。そして彼女は、そんな自分を汚れたと言っている。

「……俺が洗い流してあげる」

気付けば、流沙はベッドの上に乗り上がって薔薇戦争に跨っていた。

「俺は流沙だ。いつだってお前のそばで流れてる」

湿った包帯をなぞり、流沙は微笑む。薔薇戦争の前髪を撫で、なぞるように頬に手を滑らせた。

「……洗い流して」

薔薇戦争の手が虚空を彷徨う。その手を掴んで自分の頬に触れさせてやると、彼女は流沙の顔を引き寄せ、徐に口付けた。触れるだけの口付けを数回、そして何度目ともつかぬ口付けで、舌を絡め、貪るように流沙の唇を食む。彼女らしくない、と流沙にしては珍しく戸惑いながらも、されるがまま。

「…あなたはわたくしのものよ。そしてわたくしはあなたのもの」

それを証明してみせて。そう言って離した唇に笑みを滲ませる彼女の額に口付けて、「…あぁ」と流沙はフードを脱いだ。
たまご雑炊は、すっかり冷めてしまっている。








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