novel | ナノ
ベッドの上でのたうち回る少女を見つめながら、彼は微笑んでいた。

「きれいですよ、薔子…」

血が滲んだ包帯の右目の部分を押さえながら呻く彼女の頬を撫で、呼吸を奪うように口付ける。唇を離せば、「いや、嫌、りゅうさ、やめて、」と息も絶え絶えに、まるで譫言な声が漏れた。

「…堕ちてしまえば楽になれるのに。俺に流沙を投影することでまだもがきますか」

まぁ、そうすること自体が既に正気の沙汰とは思えませんが、そう呟きながら赤い華が散る彼女の首に手を伸ばして、

「希望(のぞみ)」

彼の動きが止まる。振り返れば、艶やかな黒髪を濡らし、木蓮の花の耳飾りをしたスーツ姿の女がタオルを首に巻いて立っていた。

「あぁ、青葉。情報屋さんと李希のお世話、ご苦労様です」

「……彼の方は済ませたわ。…彼女の方は、対月に任せてる」

「…あぁ、最近入ったお手伝いさんですね」

希望、と呼ばれた彼は再びベッドの少女の体を弄び始める。それを見て不快感を露わにするかのように、青葉と呼ばれた彼女は眉間に皺を寄せて「それどころじゃないの」と希望を少女から引き剥がした。

「侵入者よ」

希望の目に好奇の色が宿ったのを、青葉は見逃さなかった。



「規模が小さいカラ、こうしてザコをたくさん寄せ集めちゃったってワケカナ?」

「そういうことでしょうね」

廃工場のような暗い広い場所にやって来たさくらとサラバンドの目前には、重火器、刃物、さまざまな武器を携えた男達。さくらは目尻を下げながら、「困りましたねぇ」と頬に手を添えて首を傾げた。

「サラくんは向こうについて行くべきだったんじゃないかしら…」

「ア、さくらサンもそう思うよネーやっぱり。ケド、ダイジョブヨー」

へらへらと笑いながらサラバンドはフルートを構え、さくらにウィンクする。さくらも微笑みを返し、目元を手で覆う。

「もう始めてるカラ」

そして、フルートの最高音が一発、高らかに鳴り響いた。男達は耳を塞ぐが、瞬きひとつのうちに世界が変わっていた。暗い場所だったはずなのに、今彼らが立っているのは、柱が不規則に乱立した明るい空間になっていた。
そして目を覆ったさくらがすっと手をずらせば、黒と白の目が開かれていて。

「巽くん、乾ちゃん、お仕事ですよ」

一言。まもなくして、さくらの傍らに黒い少年と白い少女が立っていた。少年は目を伏せて黒い剣を握り締め、少女は笑って白い剣を肩に担いでいる。

「思う存分、暴れてくださいね」

「………」

「うぃーっす!」

白い少女……乾の明るい返事と共に、二人の子供は走り出す。黒い少年、巽は身を屈めて駆け、男達の愛を斬りつける。乾は柱を蹴りつけ宙を舞い、男達の腕や顔を斬りつける。子供特有の小ささと俊敏さに男達は翻弄され、戦闘不能になっていく。格闘ゲームのBGMのように、フルートの音色は激しくも美しく奏でられる。

「にゃはん」

柱以外にも男達の頭すら足場にする乾。だが、ある男の刀が彼女の頭部を貫いた。男達の緊迫した空気が緩む。しかし、彼らは気付いた。彼女の傷から、血が出ないことに。

「にゃっははーん!」

刀身を握り、刀を無理矢理引き抜く。傷口は破れた紙のようにひらひらと風に揺れていた。乾が指で傷をなぞれば、塞がった。

「ボクらはヒトじゃないよ?」

そうして軽やかに男達を翻弄する巽と乾を見据えるさくらの目が、ふと、隣に立つサラバンドに向けられた。サラバンドが目配せすると、さくらは再び巽と乾の方を見て、

「演奏妨害はいけませんよ」

サラバンドの背後に立つ人影の、さらに後ろに立っていた。

「あー、バレちゃった」

新たな人物は、サラバンドのフルートに手を伸ばそうとしていて。その手をさくらは掴み、その人物を冷めた目で睨みつけていた。それは黒髪のボブヘアの男で、鮮やかな水色の瞳、そして、左目にモノクルをし、白衣を身に纏っていた。

「仕方ないな。……君達、下がりなさい」

モノクルの男が声を張り上げると、男達は、ある者は脚を引きずりながら、ある者は腕や顔を押さえながら退散していった。「離してもらえませんかね」男が言うので、さくらはそっと掴んでいた手を離す。サラバンドも演奏をやめ、フルートを下ろした。

「さてさて、神見愛者の皆さんですよね?いやー、薔薇戦争を救出しに来たんですよね、助かりますほんとまじ感謝感謝」

男はおどけたように両手を上げ、さくらから距離を取る。「あ、僕、汐里って言います。進藤汐里。あー、見捨てられた者的には、汐風、ですかね」と名乗った彼、汐風は白衣の裾をばたつかせ、にっこりと人懐こい笑みを浮かべる。

「チョット、薔薇チャンを拉致ったのはキミらヨ?どーゆーコトヨ、助かるって」

「あれは僕らのリーダーが勝手にやったことなんですよ。薔薇戦争には流沙との子供を産んでもらわないと困るっていうのに」

「…あなた方の組織の人達は、同じ目的の下で動いてるわけではないのですか?」

そうだよ、と即答する声は、どこかあっけらかんとしている。さすがのサラバンドも笑みを崩し、訝しげに汐風の様子を伺っている。

「少なくとも僕の目的は、リーダーとは全く違います。それにリーダーの目的はもう達成されてますし」

「…リーダーさんの目的は薔薇戦争ちゃん、そしてあなたの目的は、流沙くんと薔薇戦争ちゃんの子供ですか」

「ご名答!」

二人の相思相愛っぷりは、誰もが知っている。いつか必ず一緒になって、家庭を築くであろうことは目に見えていることだ。今目の前にいる胡散臭い男は、そこが目的であるとしている。

「まぁ深いことは教えらんないですけど、とりあえず困ってたんですよ。希望が薔薇戦争を自分のものにして自分の目的達成しやがったから。だから助かるんです」

ノゾミ?と今飛び出た人名らしきものを復唱するサラバンドに、汐風は「あっ、ごめん、忘れて!じゃ!」と慌てた風に消えた。サラバンドとさくらは顔を見合わせる。巽と乾も顔を見合わせ、二人を見上げている。

「…あの人、今、薔薇戦争ちゃんはノゾミという人のもの、と言いましたね」

「そだネ、思ってた通りヨ」

薔薇チャン奪還作戦その1が予定通り敢行できそうネ!普段と変わらぬサラバンドの飄々とした声が、暗い空間に響いた。








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