novel | ナノ
今日、死のうと思った。
中学の卒業式を終え、帰り道の途中にあるホームセンターで縄を購入する。苦しいかな、でもすぐに楽になれるんだろうな、そんなことを考えながら帰路につく。

彼の家は貴族の一端だった。故に、妾の子であった彼は家中のあらゆる人間から蔑まれ、虐げられてきた。唯一の味方だった兄は歳が離れていてなかなか会えず、彼の心はもはや壊れたに等しかった。その証拠に、彼の手首には夥しい数の傷痕が残っている。溢れ出す真っ赤な血が毒であれば家の者を全て根絶やしにすることができるのに。しかしそんなことは空想でしかなく、その傷はただ彼の体に刻み込まれた負の欠片でしかなかった。

あぁ、やっと死ねる。笑みが零れた。そのまま屋敷に辿り着き、扉を開ける。その時、ふと違和感を覚えた。
…あまりにも静かすぎやしないか。使用人達の慌ただしい生活音が何一つしない。靴を脱ぎ、恐る恐る屋敷に上がる。そして広いリビングの扉を開くと…大好きな兄がいた。

「兄貴…!」

兄は振り返り、彼の姿を認めてにこりと微笑む。月の光を浴びたような銀髪が風もないのに揺れている。何かを感じた彼は兄に駆け寄り、首を傾げた。

「あ、兄貴、親父や本妻(奥さん)や、使用人のみんなは……」

しかし兄は笑みを絶やさない。その笑みに恐怖を感じたものの、彼は何故か安堵していた。死を前にした時とは違う安堵だった。不安も何もない、これで安心して生きていける、そう思えた。
頬を雫が伝った。自分で自分を傷つけた痛みでさえ泣かなかったのに、兄が、兄だけがいてくれるのが嬉しかった。兄がそっと抱き締めてくれる。

Jan, ou so em ryn'y hevli.

泣くことなど久しぶりで、頭がぼんやりする。朦朧とする意識の中で声のようなものを聞いた。耳に心地の良い音だった。

San, na, monne ve qui, Qs'i Ckucc!



かくん、と眠りに落ちてしまった弟のうねった黒髪を撫で、彼は笑みを深める。

「…もう少しだ、流人。もう少しで君は、神に愛される」





(だってあなたはワタシの大事な宝だもの)

(だから早く目覚めてね、流沙!)



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