学ラン姿のままベッドに寝そべって雑誌を広げていた雅の部屋に、母親が入ってくる。「何、母さん」目を向けずに問えば、母の溜息が聞こえた。 「清水先生が見えてるわ。今日、検診でしょう」 「…あー、そういえばそうか。サンキュ」 雑誌を閉じ、体を起こす。同時に、母の背後から涼やかな顔立ちをした白衣の女性が現れた。 「気分はどうだい、雅」 「…最近はマシ」 「それは良かった」 喘息を患う雅の主治医、清水淨は彼の前にしゃがみ込み、にっこりと微笑む。雅は彼女に言われるがままに上着を脱ぎ、検診を受ける。 「学校は楽しいかい?」 ふと、そんなことを尋ねられた。心音を聞き、聴診器を外して「服着ていいよ」と促されるままにシャツに袖を通しながら、雅はぼんやりと考える。いつも保健室に登校する彼には、友人は数える程しかいない。しかし、その友人達は毎日会いに来てくれる。不特定多数の人間と上辺の付き合いをするよりも、ずっと楽しいとは思う。 「…ん、まァな」 自分の考えが照れ臭くて、ついぶっきらぼうに言ってしまった。淨の笑い声が耳に届く。「楽しそうで何よりだよ」まるで見え透いたように言ってくるので、雅はばつが悪そうに唇を尖らせた。 「さて、今回も異常はないね。これからも安静に過ごすんだよ」 「…ういっす」 「返事は"はい"だよ」 「………はい」 「よろしい。…それじゃ」 淨は立ち上がり、踵を返す。「先生、良ければ夕飯を召し上がっていきませんか」「おぉ、ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」淨と母の会話を聞き流しながら雅は再びベッドに体を埋め、目を閉じた。 目覚めると、真っ暗だった。カーテンを閉めていなかったので、月明かりが窓から差し込んでいる。 「…やっぱ昼寝はいけねェなァ…」 変な時間に寝れば変な時間に起きてしまう。分かってはいるのだが、三大欲求の一つである睡眠欲には勝てない。眠いものは眠いのだ。 「……飯食お」 きっと何かしらあるはずだ。温めれば食べられるだろう、そう思って雅はダイニングに向かった。 オムライスを食し、洗い物を済ます。乾燥機に食器を突っ込んでスイッチを入れ、雅はダイニングを後にする。…そういえば風呂もまだだったな。そう思ってバスルームに向かう。すると、電気が点いていることに気付いた。 「………淨センセ?」 そういえば夕飯を食べると言っていたが、淨の場合はそのまま泊まっていくことも珍しくない。特定の病院に就職しているわけではない、所謂フリーランスの医者らしく、個人単位で患者を診てくれる。それが淨だ。 てっきり淨がいるのだと思ったが、水音は聞こえない。電気の点けっ放しかよ、そう思ってバスルームの扉を開いた。 「!」 何もないと思ったが、いた。 「……雅…?」 化け物が、そこにいた。濡れた長い黒髪。雅に向けられている裸の背中には、夥しい数の"目"があった。そして肩越しに雅を見ている彼女の額にも、"目"。そして、うなじにも"目"があった。全ての"目"が、雅を見つめていた。 「…淨センセ…?」 呼びかければ、彼女は目を伏せる。彼女の姿はまるで"目"の化け物だ、と雅は思った。そしてその姿を、雅は知っていた。 「……百目…?」 雅の口から漏れたのは、百の目を持つ妖怪の名。妖怪図鑑で見たことがあるだけだったが、雅の中には確かな知識として蓄積されている。まさか、本の中だけのものだと思っていた妖怪が目の前にいるなんて。 「………私は百目だよ、雅」 ふと、全てを悟り切ったような穏やかな声がした。"目"が、まるで刺青のような模様に変わっていく。そして彼女はシャツを羽織り、雅の方に向き直った。 「黙っていてごめんよ。私は化け物だ」 彼女の表情は、まるで今にも消えてしまいそうな雰囲気を醸し出していた。 「……イイじゃん」 無意識のうちに彼はそう呟いていて、彼女に歩み寄る。身長は少し雅の方が低いが、ほぼ同じ目線だったのか、と初めて意識した。彼女の前髪を掻き上げ、"目"だった模様に触れる。 「淨センセ、カッコイイ。嫌いじゃねェよ、百目」 はっと淨が息を飲む気配が伝わる。そして彼女の少しくすんだ黒い目が見開かれた。 「………私が怖くないのかい」 「は?怖い訳ねェだろ、淨センセは淨センセだし」 この模様とか最高にイカしてんじゃねェか、と額の模様を撫でる。淨はしばらくの間驚いて瞠目していたが、やがて目尻を緩め、ありがとう、と囁いた。 千年の孤独 (孤独の中でいつまでも待っていた) (やっと出逢えた愛しい君) Title by 秋桜 [ back to top ] |