荊華院 | ナノ


咲散華


::荊の華の根

下弦の月が、暗闇の中にぼんやりと浮かんでいた。

「こりゃ参ったなぁ」

水色の羽織を翻し、彼は顔を上げる。その目に細い月を映しながら、にやりと笑んだ。

「何でこの時期に京に来はったんですか、薊利様」

「咲が京の紅葉を見たいと言うから」

「成る程」

奥方様思いですなぁ、そう言いかけて彼は口を噤む。今は真夜中、彼の主人の奥方は既に床に就いている。「奥方様のところ、行かはらんのです?」言いかけて、やめた。

「にしても薊利様、ほんまに何で今なんです?」

「……だから、」

主人の言葉が詰まった。彼の背後から飛び出した黒い影。その影が鈍色に輝く何かを手にしているのを認め、主人は目を見開いた。そして、彼の目の前で銀が揺らいだ。

「言わんこっちゃない」

彼の刀が、影の左胸を貫いていた。そのまま横に一閃振るえば、影が落ちる。地に赤が広がる。

「ええですか、薊利様。今の京は危ないんです」

彼は刃についた赤い液体を羽織の裾で拭き取り、主人を見た。主人は額に汗を浮かべてはいたが、先程と同じように背筋を伸ばしてそこに座していた。

「京に吹き荒れるは、血風舞う尊王攘夷の嵐」

刀を鞘に収め、彼は主人を見つめたまま微笑む。主人は唇を引き結び、そして…同じように笑みをこぼした。

「それでも私は、咲と紅葉を見る」

主人の応えに、彼は噴き出した。「何がおかしい」と主人に諌められるのも気にせずひとしきり笑った後、彼は主人の前に頭を垂れた。

「第一四代華之根、奈須野。華の根として与えられた命、荊の華の為に使いましょう」

彼の声が、高くなった。「面を上げろ」言われるがままに上げられた貌は、女のそれだった。女は腰の刀を鞘ごと引き抜き、頭上に掲げて再び頭を下げる。

「…明日、嵐山に行く。供せよ、華之根」

主人が刀の鞘を握る。刀を奉る女も刀を握り締める。顔を上げれば、主人の真摯な目と出会った。

「御意」





 

2015.02.16 (Mon) 20:45


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