07.恋心
恋心

不死川 実弥

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「余所見すんじゃねぇ」

蛇に睨まれた蛙とはまさにこの状況を指すのであろう。
今日も今日とて不機嫌そうな、平時と変わらぬ様子の不死川は、名前を組み敷きその身を逃すまいと彼女の視界を覆っていた。
そんな彼女はといえば、顔の横に置かれた彼の両腕に捉えられるようにしてすっかり身動きが取れなくなってしまっていた。
これが任務中であれば死んでいる。完全に間合いに入られ勝ち目はない状況である。
庭先で間の抜けたような鳩の鳴き声が響いた。

どうしてこのような展開になってしまったのか。動揺しきった彼女は、辺りに視線を泳がせ、この状況を整理しようとした。
それは遡ること数刻前、頼れる先輩の助言が全ての始まりであった。


頬にかすていらを目一杯に詰め込んでモグモグしながら、目を輝かせて質問を投げ掛けてくるこの女性は、先ほどからとても楽しそうだ。

「それでそれで、名前ちゃん! もう口づけはしたのかしら?」

「く、口づけ……!」

その言葉を聞いて名前は口にしていた紅茶を吹きこぼしそうになった。
矢継ぎ早に寄越される質問に答えを返す度、身の置き場をなくしかけていた頃のこと。
彼女の屋敷で出されるものは、どれもこれもおいしい。

「甘露寺さん、もうそれ以上はお答えできません」

そうして恥ずかしさに頬を染め名前は俯いてしまう。
そんなことはしたことはない。何故なら彼とは恋仲なのかどうかさえもぼんやりとした関係なのだから。


「おい、お前が始めたことだろうが」

名前は不死川の胸を押し返すと、この場から逃れようと身を捩り始めた。
目の前の彼は、今彼女の着物の帯に手を掛けんとしている。
誤解のないように云おう。けしてそこまでは云っていない。
ただ一つこう云っただけである。
「不死川さんは女性と口づけをしたことがありますか?」と。

いつも顔色一つ変えない彼の考えていることなど、彼女にはわからなかった。
けれど好意は感じるのだ。こうして屋敷へ招いてくれるのも、任務中に心配をしてくれているような言葉を投げ掛けられるのも、このように近い距離で話すことさえも、他の人であれば彼はけして行わないことだからである。

彼女に伝わっているかはわからないが、余裕がないのは不死川も同じである。
よりによって茫とその顔を思い浮かべていたら、示し合わせたように己の屋敷を訪ねてきた彼女は、真っ直ぐこちらを見つめてこともなげにそんなことを尋ねてきたのである。
よく見れば身なりも隊服ではなく、女性らしい一重梅の優しい色合いの着物に身を包んでいる。その姿に胸が少し騒がしくなったのは誰にも内緒である。
これまで自分たちのする会話など、天気のことか、鬼のことか、食べ物のことくらいであった。
けれど確かに互いに好意を持ってはいるのだ。
それは不死川にもわかっていた。

不死川は静かに名前の唇に己の唇を重ねた。
途端にしおらしくなった彼女は視線を反らしながら真っ赤になり息を吐き出した。
その様子に思わず優しく目を細めると、彼は子供のように笑った。
そんな彼の表情を彼女が見るのは初めてであった。

彼女は何だか急に悔しくなって、反撃するかのように「まだ不死川さんの気持ちを聞いていません」と云った。





画像提供:Suiren



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