06.七草粥
七草粥

煉獄 杏寿郎

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六日に七草を摘みに出かけ、七日の朝に食して無病息災を願うこの行事は、古代中国から奈良時代に伝わったものだという。
人日(じんじつ)の節句と呼ばれる初春にいただくこの粥は、七種の若菜を使ったやさしい味わいの食べ物である。


「今日は七草粥か」

そう呟いたのは、日頃からこの家で開口一番に言葉を発する杏寿郎ではなく、煉獄家の当主、槇寿郎であった。
槇寿郎、杏寿郎、妻の名前、千寿郎の、この四人で囲んだ朝の食卓は、いつもより些か静かな始まりであった。

千寿郎は、常であれば、うまい!と大きな声をあげて目を見開き、食事を掻き込んでいるはずの兄の顔を見つめた。
そんな人が黙々と食事を口に運ぶばかりで、今日は何も発しないのである。
兄の様子が心なしか意気消沈したように見えるものだから、いかがしたものかと、今度は窺うように名前へと視線を向ける。
淡々と食卓に皿を並べながら、必要に杏寿郎と視線を合わせようとしないその様子は、千寿郎にもわかる程に何かがあったのだろう、と思われた。

気を遣った千寿郎が、今日は自分が頑張らなくてはと「とても美味しいですね!」と、いつになく大きな声で感想を述べた。
しかし名前はそんな彼に優しく微笑むばかりで、この空気を打ち破るまでには至らなかった。
そうして千寿郎は諦めて、食事を口に運ぶしか仕方がなかったのである。


厨にて朝餉の片付けをする名前の姿を、杏寿郎は後ろから恐る恐る窺い、声を掛ける。

「名前! 今日はよい天気ゆえ、散歩にでも出掛けぬか」

そう笑顔でその背中に声を掛けると、彼女は手もとを流れる水に視線を落としながら、振り向きもせず「今日は、呉服店に頼んでいた杏寿郎さんの着物が出来上がる日ですので、片付けが終わったら取りに行かねばなりません……。せっかくのお休みですので、杏寿郎さんもゆっくりとなさって下さい」と答えた。
その声は何かを怒っている訳でもなく、一生懸命に振り絞るように発せられ、まるで彼がこの場を去るのを待っているかのような響きであった。
彼は、それであれば散歩がてら一緒に着物を取りに行けばよいではないかと思ったが、云うより早く、名前の腕を掴み振り向かせた。

「どうしてそんなに急に俺のことを避けだしたのだ」

杏寿郎の表情は真剣だった。何故ならこの半年心を開いてくれなかったこの彼女との、せっかく縮まった距離がまたさらに離れていくように思われたからである。

「避けてなどは……おりません」そう云いながら俯いた彼女の顔は、ほんのりと赤みを帯びていた。
この人は自分のしたことを何ひとつ覚えてはいないのだ。いつも自分のペースで、こちらの気持ちなどお構いなしで、けれどもそれを望んでしまう自分自身に何よりも羞恥心が込み上げて仕方がなかった。
どのような表情をして彼を見つめればよいと云うのだ。
一昨日の晩に抱きとめられ、その朝方まで続いた行為を彼は忘れてしまったのかと、彼女は少し訴えかけるような視線を向けた。

杏寿郎は、初めて名前に口づけて以来、すっかりその心地よさに夢中になってしまった。
事あるごとに求めてくる彼の行為は、日に日に段階を越えて彼女を追い詰めていかんとしていたのである。


ああ、そんなに見つめないでほしいと彼女は思った。
名前はひとつ息を吐き、杏寿郎に向き合うと「あなたが好きで堪らないのです」と小さく溢して俯いた。





画像提供:Suiren



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