21.年賀状
日の出

冨岡 義勇

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「お母さん鳩に餌をあげてはいけないのでしょう?」

路面電車の到着を待つ子供が、銅鉄製のレールを挟んだ向こう側にいる老人を指差した。老人は時計台の階段で、足元に群がる鳩たちへ何やら頻りに白いものを撒いている。恐らくパン屑か何かであるのだろう。

「人のことはいいの。それぞれ事情があるのだから」

母親は子供を急かすように手を引くと間もなく到着した路面電車に乗り込んだ。手を引かれた拍子に袖が吊り上がり、少し大きめであったのか、子供の着ていた洋装の上着から白いシャツが丸出しになった。車掌は大声で発車を知らせると、車掌台に下がっている白く太い紐を引っ張り、運転台の上に取り付けたベルを鳴らした。鳩たちが一斉に飛び立ち、先ほどの老人の姿は雑踏に紛れてしまった。
木目調の内装はまだ新しく、この乗り物が走るようになってから然程時が経っていないことを感じさせる。思えば以前来た時には、この田舎町に路面電車など走ってはいなかった。

つり革につかまり、手元の葉書に目を落とす。淡い色で描かれた藤の花の絵に、年初めの祝いの言葉などはなく、どうかご武運を、という一文が添えられていた。日付は今から丁度二年前のものだった。
乗降口から降り立つと、稲藁を燃やす匂いに微かな懐かしさを覚える。此処へ居たのは、ほんの数ヶ月の間であったはずだがーー

「もう行かれるのですね」

「世話になった」

あの日、戸を開けると外は雨だった。風もなく雨は静かに地面を濡らしていた。彼女はそれ以上何も云うことはなく、頭を下げたまま再び俺を見ることはなかった。

あれから鬼殺隊は解散し、俺は役目を終えた。暫く各地を転々とし、呆けたように日々を過ごしていた。
時代も人の在り方も移り変わるが、どこか時が止まったように流れる景色を目に映した。
もう絶望することもない、誰かのかなしみに無力さを覚えることも、欲するものもなかった。満たされているといえば、その言葉が一番しっくりとくるのかも知れない。

山間部の棚田を延々と降りて行くと一軒の家屋に辿り着く。辺りは日が暮れ始めていた。夕陽が戸口までの道を照らし、花を終えたツワブキが茶色く乾いて種子を飛ばそうとしている。
此処はもう藤の花の家紋の家ではないのだ。彼女を訪ねて良いものか、逡巡し足が止まった。日暮れに人の家を訪れるというのもいかがなものか。
後ろから人の足音が聞こえてくる。振り返ると一間先でその人は足を止めた。それは、記憶の中と何一つ変わらぬ彼女の姿であった。胸に数本の椿を抱え、薄桜色の着物に身を包んだ彼女は美しかった。

「ご無事で……いらしたのですね」

「此れの礼を云いたかった」

微笑んだ彼女は、俺の手にした葉書を見て昨年は届かず返ってきてしまったと眉を下げた。
互いに言葉は続かなかった。彼女の手を引き胸に抱き止めると、椿の花が数枚地上に散った。


「今日は鮭大根はありませんよ」

「なくても構わない」





画像提供:Suiren



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