19.初夢
日の出

猗窩座

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「母ちゃん正月に富士の山を夢で見ると良いことがあるんだろう」

笠を編む母親の背に凭れ掛かりながらまだ年端もいかない子供が、退屈そうに天井を見上げながら語りかけている。
「いいから早く寝なさい。あんまり遅いと夢も見られなくなるよあんた」母親は体を預けてくる息子を背中で軽く押し返しながら、笠を編む手元を休めることはなかった。
明かりは部屋の中央に四角く据えられた炉の火のみだった。すすきを敷き詰めた茅葺屋根は苔が生え棟の煙り出し部分が壊れていたが、室内は見た目よりもずっと暖かそうだった。
今日は起き抜けからどうにも気が進まない。
もうこんなことはやめにしよう、目を覚ます度、そんなことを考えては抗えない力に流されていた。
粉雪がちらつき始める。針葉樹の幹につかまりながら誤って枝を一本地上に落としてしまう。音に反応した犬が騒がしく吠え出した。

「母ちゃん! 父ちゃんかな」慌てて戸口まで駆けてくる足音が聞こえ、「父ちゃんは今日は帰ってきやしないよ。町まで笠を売りに行って明朝戻る予定だもの」と呼び止める母親の声が続いた。
すっかり気づかれてしまい、犬は相変わらず吠えたまま鳴き止むことはなかった。

「お前はどういうつもりだ」

頬を切り裂くように一陣の風が吹き抜けた。
巻き込まれた戸が弾け飛び、立ち尽くした子供が私たちの姿を呆然と見つめている。

「いつまでも来ないと思ったら、こんな所で油を売っていたのか」

「猗窩座、もう行かないと云ったわ」

「それが何を意味するのかわかって云っているのか」

雪は強まり吹雪になろうとしていた。
その目は怒っていた。
今まで見たこともないような激しい感情を帯びていた。

「生き永らえてどうするの」

鬼になった私の目から涙などは出なかった。
無惨様には全てお見通しだろう。
直に判断が下される。多くの命がそうであったように。血を分け与えられたその日からこの命は私の手を離れたのだ。
もしかしたら生まれた時からそうであったのかも知れない。

遠くに叩きつけられ、深い雪に包まれた体は起き上がることを拒んだ。
無惨様が来られたのだ。
雪を掻き分けた猗窩座の手はとうに熱など持っていなかったはずだったが、温かく感じられたのは私の願望だろう。

日の下を歩きたい。朝日が見たい。
もうすぐ夜が明ける。私を庇うように重なった猗窩座と私の行く末は凡てあの御方に委ねられていた。一度閉じた瞼を再び開くと、ほの暗い夜明け前の上空を二羽の鷹が旋回していたーー



「狛治、今年の初夢は何を見たの?」

「忘れた。そんなものは覚えていない」

もう正月から何日経ってると思ってる、と机に頬杖をつきながら面倒臭そうにこちらを見てくる狛治は、夢に見た鬼のような姿はしていなかった。顔色もいいように思う。
ホームルームの鐘が鳴り響き、当たり前のように机を寄せ、教科書を真ん中に置いて見せてくれる。

「どうせ今日も忘れたんだろう」

もう慣れっこなのか、呆れた風でもなく狛治は筆箱からペンを一本取り出すと黒板を見据えた。
教壇に立つなり鬼舞辻先生のため息がこぼれ、「正月明けから忘れ物とはいい度胸だ」と含みのある視線を送られる。
その様子を見た狛治が笑った。教室のカーテンが大きく風にそよいだ。
今年もよい一年になりそうだ。





画像提供:Suiren



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