煉獄 杏寿郎
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何処まで走ってきたのか。
木々の枝葉が頬を掠め、込み上げる呼吸の熱さと、胸の起伏は激しさを増すばかりだった。途中で何かに足がつっかえ、履き物を失ったまま走り続けた。淡黄の着物は擦りきれ泥飛沫に濡れていた。
いつからか強くなった耳をつんざくような風の音が、枯れ葉を踏み締める自分の足音が、もう何者も追ってきてなどいないというのに、まるで追い立てられているように響いていた。
心のなかで叫んだ。どうしようもないかなしみが込み上げてきた。辺りはほの暗く、終わりのない道を私は走り続けている。
鬼を斬るのは二度目だった。卸問屋へ潜む鬼の密偵を仰せつかったのは半月前、こんなにも早く鬼が顔を出すとは思わなかった。一緒に潜入捜査へ入ったもう1人の仲間は蔵のそばで事切れていた。下級隊士の私たちが受けていた任務は、あくまで情報収集で鬼を斬るまでの指示は受けていなかった。受けていなかったが、受けるはずがない。なぜなら鬼を前にしたら斬ることが当たり前だからだ。覚悟はしていたはずだ。私たちはいつだって覚悟している。鬼を斬ることも、自分の命や仲間の命を失うことも、とうに覚悟など決めていたはずだったのにーー
夜が明けようとしていた。林を抜けたところで走り疲れて足を止めた。太陽の光だけが安心をもたらしてくれる、それを知ったのは鬼殺隊に入るための修行をつけてもらっていた時だった。鬼を知れば無闇に恐れることはなくなる。鍛錬を積み、強くなることは自分を、家族を、友人を、あらゆる人を助けることに繋がるのだと、そう云われた。
嗚咽を漏らしながらその場に蹲った。どれもこれも、容易いことではなかった。
ーーもう蹲るのはやめようと決めたのに。
涙が止まらなかった。こんな風にこの先も永遠と人の死を見て行かなければならないのか。
視界の先に誰かの足元が映り、恐る恐る顔を上げる。その人は、その瞬間まで全く気配を感じさせることはなかった。
「よく耐えた! 間に合わず、すまなかった!」
そして膝をつき、少し眉を寄せて私の肩に着ていた羽織りを掛けた。金色の髪色に、毛先は燃え盛る焔の色をしていた。東の空が明るさを取り戻し、一日の始まりを告げている。
私はその場で鬼を打ち損じたことを話した。遂には逃げるように卸問屋を出てしまったことを。打ち損じたのは今日が初めてではなかった。思えば鬼を斬った一度目も……あれは入隊試験の時で、初めて藤襲山で目の前に迫ってきた鬼を斬った。刀は鬼のからだに食い込み、丸腰になった状態で腰を抜かした私はそれ以上何も出来なかった。一人、二人と人を喰らう鬼を前にしても、怯えた足は動かなかった。また、自分だけが生き残ってしまったと思った。
「鬼はもういない! 先ほど斬った!」
ーー君は出来ることをした! それでいい! これからもそれでいい。
「俺は炎柱、煉獄杏寿郎! 君は、名を何という」
太陽が地平線に浮かび上がった。
無骨な手が頬に伝う涙を拭った。この日から煉獄さんの背中を追い、私はもう斬った鬼の数も、失ったものも、数えることをやめた。