17.雨降り
雨降り

煉獄 槇寿郎

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降り出した雨が石畳にこぼれ落ちた山茶花の花を濡らしていた。この時期になるとメジロが花の蜜を吸いにやってくるらしい。古い寺院の脇で、その瓦屋根から鳥たちが飛び立つのを見た。まだ雨は止みそうにない。抱えた大根の葉がくたびれたように腕にしなだれかかっていた。

このようにあてもなく佇んでいると、自分がこうして此処へ居ることが不思議に思えてくる。数ヶ月前には想像もしなかった人の元へ嫁ぎ、今日も夕餉を作るための買い出しをしているのだから。
日々の会話はあまりなく、好きなものも嫌いなものも聞いたことはなかったが、空になった善を見ると嬉しかった。あれこれと何を作ろうかと思い巡らす時間さえもこの頃は愛おしく思えてくる。

妻にも子にも先立たれ、残された息子と二人暮らしの男がいると、縁談を持ち掛けられたのは二年前のことだった。歳は二回り以上離れていた。その人の事情はそれ以外知らなかった。
私はといえば、最初に嫁いだ先の商家で夫に浮気をされ浮気相手と子まで成したので、一向に子の出来ない身の上では到頭厄介払いとなった。
国に帰るわけにも行かず、親兄弟に見せる顔もなく、行き場を失っていたところだった。そんなことを何ひとつ、あの人は聞き出そうとはしなかった。問われることもなく、試されることもなく、静かに今の家に迎え入れられたのだった。

手水(ちょうず)の竹筒から緩やかに注がれる水の行方を目で辿る。次第に雨とともに満たされ、溢れた水は地上に流れ出した。何もかもを水に流してこの場に立っていた。一向に雨は止みそうにない。
ひとつ決意して、参道へ足を踏み出す。空を見上げれば鳥たちも慌てたようすで散り散りに林へと飛び立っていった。雨粒は小さくなり、霧雨のような白い煙に包まれ、額に翳した手元を濡らした。
小走りに家路を急いでいると、耳心地のよい下駄の音が響き、傘を持ったあの人が前から歩いてきた。

「傘を持って行かなかっただろう」

傘を差し出すその背に暮れなずむ夕日がさして、長い影を作った。手渡された傘を受けとると触れ合った手の冷たさが心地よかった。


ーーその晩、瞼を閉じる夫の顔に初めて触れてみた。無精髭をなぞり、唇に指を添えると、安心したように静かに寝息が漏れている。触れても微動だにしない姿に、幾分か心を開いてくれているのかも知れない、そう思い、その顔を両手で包み込んでみる。暫くしてゆっくりと開かれた瞼はこちらを見つめ、おもむろに手を伸ばしてくる。
絡み合った足先は、夕暮れ時に触れた手先よりも冷たかった。

「何も聞かないのですね」
「なにか聞いてほしいことがあるのか」
「いいえ」
「何を笑っている」
「寝惚けていらっしゃるので」

静かに行灯の明かりが消された。





画像提供:Suiren



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