11.福寿草
福寿草

煉獄 杏寿郎

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小鳥の鳴く愛らしい声が聞こえてくる。辺りはぽかぽかと暖かな日差しに包まれ、花壇には小さな黄色い花が咲いている。福寿草と呼ばれるらしいこの花は、江戸時代から親しまれ、愛好家たちが今日まで大切に守り抜き伝わったのだそうだ。彼らは戦時中の食糧難にあえいでいた時期でさえ、花を植えることを忘れなかった。食べることの出来ない花を植えるなど、冷ややかな目を向けられることもある中で、農作物の片隅に隠すようにひっそりと植え育ててきたのだ。

「苗字先生ー。おはようーございまーす」

生徒たちの間延びした声が聞こえてくる。もう登校時間か。朝から何と張りのない、気の抜けた響きだろう。息を一つ吐き、空を見上げる。今日も慌ただしい一日が始まる。
きめつ学園、赴任一年目。担当することになった陸上部の朝練はやけに早いのだ。なんと今日の職務開始は五時半であった。前日に自ら朝練の集合時間を生徒に告げながら、誰よりも心が折れていたのは私である。

「おい見ろよ! 苗字、花なんか見ちゃって。似合わねー」

「花より竹刀って感じだもんな」

おいおい聞き捨てならない。私がいつ竹刀を持った。それは冨岡先生だ。いくら私が体育教師だからって、そんな学園ドラマの熱血漢みたいなイメージを持たないでほしい。しかし何故か今日は言い返す勢いも、立ち上がる気力もなかった。花壇の前に屈み込み、花などを眺めてはため息を吐いている。確かにそんなのは私らしくない。これが恋煩いというやつか。

「恐るべし煉獄杏寿郎……」

「苗字先生!」

彼の呼ぶ声がする。遂に私は夢とうつつの境目まで見失ってしまったのだ。

「ああ南無阿弥陀仏」

「苗字先生!」

夢のなかの彼はずいぶんと私を呼んでくれるではないか。現実ではまだ数えるほどしかないというのに。

「背中が出ている!」

背中が出ている? それはなんとまあ……。
ふと腰に触れてみる。確かに背中が出てしまっている。ん?
慌てて立ち上がり振り返ると、そこには先ほどまで思い焦がれていた彼が立っていた。

「わわわ、わ! 煉獄先生!」

あまりの驚きに後退りした身体が花壇の縁に引っ掛かり、そのまま倒れ込みそうになる。
すると煉獄先生が手を伸ばし、私の体勢を立て直してくれる。

「煉獄先生、いつからいらしたのですか!」

彼の腕のなかで私は惚けたように口にした。

「苗字先生が生徒に声を掛けられたあたりからだろうか。この頃、少し元気がないように見受けられるが、いかがしたのか。少し心配をしている! 悩みがあれば遠慮なく相談してほしい!」

彼が畳み掛けるように話すのを硬直し見つめていた。こんなにも至近距離で眩しい笑顔を向けられては、くらくらと眩暈のする感覚に陥ってしまう。何故、煉獄先生は離して下さらないのだろう。恥ずかしさに思わず両手で顔を覆う。

「服の捲れた苗字先生の肌を、他の者が目にすることがなくてよかった」

それは一体どういう意味でおっしゃって。この学園で私を女性扱いするのは彼だけだ。数日前からどうにも調子が狂って仕方ない。これは何かの罰ゲームだろうか。きっと神さまが勤務中に花壇の前で座り込んでいた私を咎めていらっしゃるのだ。

チャイムの音が鳴り響くまで、煉獄先生はなかなか動き出そうとはしなかった。
控えめな黄色い花の蕾が、誰にも気付かれない速度で、ゆっくりと花開いている。





画像提供:Suiren



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