ともし火


雲ひとつない夜を、幾つもの灯りが出迎え、一本道を照らしていた。
手を引かれ歩いてゆくと、大きな寺院が見え、その前では数段の井桁型に組まれた木々の中央で、一点の炎が厳かな雰囲気のもと立ち昇っていた。それは神秘的でさえあった。
人々は家ごとに松明(たいまつ)を持ち寄り、その轟々と燃え盛る炎のなかへ投げ込むと、一様に手を合わせ、視界へその揺らめきを映していた。
この地方へ古くから伝わるこの火祭りという行事は、かつて戦でその身を追われた神々を守るために始まったのだという。

不意に親の手を離れた私は、炎のうつくしさに吸い込まれるように、衝動に突き動かされ手を伸ばした。
その痛みもその後の記憶も、何一つ残されてはいないのだけれど、ただただその炎のうつくしさだけが目に焼き付いて、今も心を惹かれてやまないのであった。


 *

槇寿郎さんは徐に私の手のひらに浮かんだ赤紫色の痕を親指の腹でなぞり、いつまでもそうして見つめていた。
何度めかの酒を杯に注ぐと、窓の外で遠く白い月が虚空のなかに浮かんでいた。
何を思っているのか、その横顔を見つめていると、合わさった瞳には何も宿してはいなかった。
彼の手が首筋に触れて、次第に鎖骨へと下り、形をなぞるように指を滑らせた。
その指先はひどくひんやりとしていて、この人のことを私は何も知らないのだけれど、思わず握りしめて締め付けられるような思いに、そっと下唇を噛み締めた。
その魅惑は、いつか見たあの炎とよく似ている。
辺りを飲み込む程に大きく燃え盛っているというのに、静寂さを保ったまま、けして動かないでいるあの荘厳な、ともし火だ。

この郭のなかでは、誰もが誰かがこの手を引いてくれるのを待っている。
男女の痴情のもつれなどは茶飯事で、皆欲望に夢を見ていた。
もしかすると生まれ落ちたときから、人は抱えているものを埋め合わせるために、さがし続けているのかも知れない。
それが何なのか、そんなことがわかる前に、私たちは儚く潰えてゆくこの身を抱き締めて、目の前の温もりにすがろうとしてしまうのだろう。

彼の肩に身を寄せ、頭を預けた。
彼は一度も私を抱こうとはしなかった。

初めて出会った日、いつもの娘はいないのかと、代わりに座敷へ上がったのが私であった。
客を取るのはその日が三回目で、覚束ない手つきで酒を注いだ。
自分の胸の起伏を視界に映し、緊張に揺れているだろう眼差しを誤魔化そうと、彼の膝元に手を添えた。

「無理をするな。人がいて、酒が飲めればそれでよい」

その日、酒を浴びるほど飲んだ彼はゆらゆらとからだを揺らしながら、静かに部屋を後にした。
それから彼が訪れる度、呼ばれるようになった理由を聞いたことはなかった。


 *

ある夜のこと、彼はひどく荒れていた。

この場に来るときには既に酒を何杯も煽っていて、右の手には酒瓶を持っていた。
その様子に慌てた女将さんが、この部屋へと続く階段を駆け上がり、何か大事があっては困ると、お客さん今日はお帰りになられたほうが宜しいのではないか、と遠慮がちに言葉を掛けた。
私は女将さんに、大丈夫ですからこのままお願いします、と静かに伝え、何とか引き下がってもらい、彼と向き合った。

項垂れるように腰掛けたその姿は、いつになく憔悴していて、そっと背中を擦ってやった。
繰り返し酒瓶に手を掛けるのを、私が止めることは出来なかった。
それがけして味わうためでもなく、何かを拭うのでもなく、喉を通りすぎるだけの、ただの行為にすぎないのだと。
この人は飲みたくもない酒を、いつまでもそうして飲み続けているのだと、そう思った。

その肩が震えていることに気が付いたときには、押し倒され胸元にすがりつく彼の頭を抱え、なされるままになっていた。
天井の古びた木目を視界に映し、慰め方を知らない私はそれしか仕方を知らないように、落とされる口づけに目蓋を閉じると、無我夢中で貪った。
女とはどうしようもないものだと思う。
互いについて語り合ってもいないのに、こうして抱かれるだけでその人を知ったようなつもりになり、愛してしまうことがあるのだから。

ひどく酔っている割には、優しい手つきであった。
この人に愛されてみたいとそう望んでしまうような触れ方だった。

それ以来、ぱたりとあの人は来なくなった。

その日どのようにして別れたのかぼんやりとしか思い出せないほど、朝まで貪り合った身体は重たかった。去り際に彼がすまない、と一言そう云ったような気がしたが、つよい眠気に誘われて、目蓋を下ろした。


 *

薄暗い部屋の立ち込める空気に、空木(うつぎ)の枝が淋しく映ったので、日に当ててやろうと窓辺へ花瓶を移した。
誰かの床を踏みしめる足音がして、この真っ昼間に女将さんだろうかと振り返ると、あの人が立っていた。


「共に行かないか」

久しぶりに現れたかと思えば、彼は唐突にそのようなことを云って、私の手を引いた。
その表情はどこか自信のないような、けれども愛しいものを見るような、切なげな表情で、それを見つめていたら堪らなくなって何も言葉には出来なかった。

「お前が嫌だと云うのであれば、このまま好きなところへ行っても構わない。それを止めはしない」

身請け金は先ほど支払った、と彼は私を胸に抱き締めた。
その背中に腕を回し、明るい場所で眺めたことのなかったその顔を、初めて出会ったかのように愛しく思った。

窓辺に視線を向けると、先ほどの空木の小さな白い花が、葉に寄り添われ静かに風に揺れていた。




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