子育て




汗をかいたグラスの中の氷がカランと涼しげな音を立てた。時刻は午前11時半過ぎ。外ではジワジワと仕事熱心に蝉が大合唱している。

「ただいま」
「あれ、早い」
「悪かったな。今日は報告だけで済んだんだ」
「あはは、冗談だってば。ジョーダン」

おかえりなさい。靴を脱いで部屋に上がってくるネジにそう言って立ち上がると、もう一度ただいま。と返事が返って来た。

「××は、寝てるのか」
「うん。さっき寝たところ」
「そうか」

不思議なもので、アカデミーから同じ学び舎で忍としての勉強をして、何の縁だか同じ班になって一緒に任務をこなしてきた相棒とも呼べる、あのネジと“相棒、あるいは仲間以上の関係”になって早数年経つ。お互いの家を行ったり来たり、家で会ったり近場のお茶屋で寛いだり、そういうのが多かったけれどいつしかもう一緒に住んでしまおうということになっていつしか結婚して子供を授かった。でもくノ一として最強になるという壮大な野望をこの私が簡単に諦める筈もなく、一児の母になったけれど夢だってまだまだ追うつもりだ。今は子育て休業中だがいつかはまたネジやリーと一緒に前線に立つんだ。そう言うといつもネジは目を細めて呆れるが「テンテンらしいな」と最終的には私の欲しい言葉をくれるので私はいつもニカッと陽気に笑ってられる訳だ。

「ネジ、お昼は?」
「まだだな」
「何にしようか。××はもう食べたし私達も食べちゃおうよ」
「ああ。そうだな」
「冷蔵庫、何入ってたっけ?」
「あー…中華麺と胡瓜と卵と…」
「じゃあ答えは決まってるわね」

そう言って鼻歌交じりに戸棚から鍋を取り出して台所に立つとネジは着替えてくる、と奥の部屋へ。
何と無く手元にあったラジオをつけてみれば電波を拾うべく途切れ途切れに司会者の声が12時10分前を告げたところだった。
夏とはいえ昨日の雨で地面の温度が下がったのか今日は比較的過ごしやすい。居間にチラっと目をやれば開けた窓の網戸からの風でフワフワと波のように揺れる白いカーテンに昨日干したばかりでフカフカしたカーペット。その中心で座布団を敷いてタオルケットをお腹にかけた××が静かに寝ている。さっきまで忍者ごっこだの何だのと騒いでいた子とはまるで大違いで思わずクスリと笑いを誘われた。

トン、トン、トン
木のまな板の上で包丁が胡瓜を切る音。ああ何て心地の良い日だろう。これで胡麻団子でもあれば最高なんだけどな。…少しの期待を含めガチャリと冷蔵庫を開けて見たがやはり余っている胡麻団子はなかった。昨日食べちゃったもんね。仕方ない。後で××が起きたら一緒に杏仁豆腐でも作ろうか。
胡瓜を切り終えて卵を手にした頃、普段着にお召し替えをしたネジが戻って来た。

「もう直ぐ出来るから座ってて。あ、箸とコップだけ出しといて」
「ああ。悪いな」

そういうと嫌な顔ひとつせず、というかいつもの無表情で食器棚から二人分の箸とコップを取り出して居間へ向かうネジは机に置いてあったグラスを手に「この飲みかけは洗うのか」と尋ねる。その声に反応したのか、近くで寝ていた××が微かに声を漏らして寝返りを打つのでネジはビクッとしてソロソロ…っとグラスを机に戻した。…ネジがあんなに小さい我が子にビクついてる。あのネジがよ。アカデミーの頃からか今までのネジをざっと思い返してププっと笑いを堪え…られず声に出して笑うと睨まれた。

ーラジオは食器洗剤の宣伝をゆるりとしている。

「はい、完成ー」
「落とすなよ」
「誰に言ってんの」

その内、予定通り冷やし中華が出来上がり居間はたちまち寝室からお食事処へ。××が起きない内に食べちゃおうと二人で箸をつけた。ツルツルと喉ごし良く入ってくる冷やし麺が夏の昼には丁度具合が良い。

「ネジ、そういえば今日ね、××が、ネジにおんぶしてもらうのが好きだって言ってたよ」
「…そうか」

この夏で4歳になる××はもうすっかり好き嫌いなど、自分の意思がハッキリしてきて、私達の言うことに「うん、うん」と言っていた頃に比べると厄介だったりもする。まったく、頑固なところは誰に似たんだか、と思ったりもしたがきっとそれは紛れもなく私達二人のせいであろうことは明白だった。
しかし最近、いや前から思ってはいたけれど何かネジの振る舞いが変だ。ま、まさか浮気…!?とも思ったが浮気している人間が仕事が早く終わったこの昼間から家に帰って来るだろうか。そもそもネジは“そういう”面に於いてはそんなに器用ではないのだ。だからきっと、何か別のことで悩んでいるんだと思う。今日こうして時間が取れたのも何かのタイミングだ。話を聞こう。そう思ってネジに向き合うと丁度目が合って、“何かあるなら話せ”という私の意思が伝わったのかそれとも自ずと話そうという気になったのか、私が事情を聞く前にネジから話の封を切って開けた。

「情けない…話なんだが」
「うん」

“情けない話。”そう言うとネジは私に向けていた視線をふと下ろし、近くで未だ寝息を立てて仰向けで寝ている我が子へやる。そしてその手で、うっすら汗を滲ませたおでこにかかった髪の毛をそっと払った。その動作はまるで慈しむ様でそして、怯えている様だった。

「俺はこいつに触るのが怖い」

お腹にかかっているタオルケットを直しながらネジが言う。ネジにおんぶされるのが大好きだと笑った××を当のネジは怖いと。勿論、何人もの敵を相手にして勝利を収めてきたネジがこんな子供にそういった恐怖を抱くなんてことはある訳がない。
ーでもネジの言いたいこと、分かるよ。

「今まで何人もの人間を傷付け、そして手に掛けてきただろう。勿論、忍になったからにはそれを後悔などしていないがそれでも、そんな力があるこの手で触れるのが怖い」

今まで壊すことしかしてこなかった。
私は忍具が好きでいつも愛着を持って、気持ちを込めてメンテナンスをしてきたけれどそれだって所詮、人を殺める道具であって。だから幾人もの人を傷付けてきたこの手で、真っ白で屈託を知らないこの子に触れるという、ある種、神聖なことが恐ろしくて仕方がなくなることが確かにある。それは私も同じだ。

「分かるよー、すっごい怖いよね。人間が弱過ぎて怖いなんてビックリ。いつか傷付けちゃうんじゃないかとか思う思う」
「…」
「だけどね、私もそう思った時はいつもこう考えるようにしてるの」

怖いからって私達が逃げてたらきっとこの子はまだ一人で生きてはいけないから私達が壊してしまう前に壊れちゃうんだよね。だから汚れた手だろうが何だろうが私達がこの手で育んでいくしかないんだよね。

「そう思うと恐怖より責任がドシンと来るし、怯えてる暇があったら一杯愛してあげないとなーって思うよ」
「お前は…凄いな」
「そうかな。難しいことなんてないよ。転んで泣いてたら頭撫でて気が済むまで泣かせてやれば良いし、悪いことしてたら目一杯叱ってあげて何で駄目なのか教えてあげて、良く出来たら目一杯ハグして褒めてあげて、迷子になったら見つけた時きっと泣いてるから怒る前にギューっと抱き締めて安心させてあげれば良いし」

ダイジョーブ。何せ私達の子だもん。そんなヤワじゃないないわよ。そう言って手を目の前で左右に振って見せれば、
ああほら、もういつものネジだ。

「ああ…そう、だな」
「そうそう。それよりほら、冷やし中華伸びちゃうし、早いとこ食べちゃわないと」

××が起きたら散々相手させられるんだからね、そう言って大きく開けた口に箸を運べばネジの笑う声がして、窓からは相変わらず気持ちの良い風。ラジオは軽快に一昔前の音楽を流している。この後、「そういえば数量限定の胡麻団子がまだ残っていたから買って来た」とネジが取り出した胡麻団子によって今日という日は更に更に素晴らしい時間に昇華したのだった。ああ、何て心地の良い日なんだろう。
机の上のグラスがカランとまた音を立てて氷を揺らした。

20140719


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