熱い平手打ち
どうしよう。大変なことをしてしまった。ネジを引っ叩いてしまった。
「どうしよう…」
事の発端はネジの一言だった。一緒に街を歩いていたら前から家族連れが歩いて来たのだ。優しそうなお母さんとお父さんに手を引かれた幼い男の子が嬉しそうに歩いる。
「なんかああいうの見ると和むよねぇ」
擦れ違い通り過ぎていく三人を微笑ましく見送りながらそう言うと「ああ」と短い返事。ちらりと横目で盗み見るとネジは存外穏やかで優しい表情。なんだネジも案外小さい子が嫌いじゃないのかも。そう思って何気なしに続けたその話だったのだが
「いいなあ。私も将来イケメンでエリートな旦那さんとあんな楽しそうな家庭築きたいなあ。いいよね家族って」
ね、ネジもそう思うでしょ?
そう。何となしに言っただけだった。なのに、それなのにネジの奴
「別に俺はひとりでいい」
「え?」
「ひとりの方が楽だ」
そんなふうに無表情に、さも当然のことの様に そんなことを言うもんだから。
「…ずっと、ひとりで良いってこと?」
「ああ」
バチン
思わず思い切りその横っ面を平手で引っ叩いてしまった。今思えば良くあのネジに平手を当てられたものだと思うけどまさかこんな人々が往来する街中でいきなり私に引っ叩かれるなんて思ってもいなかったのだろう。油断大敵とはよく言ったものだ。そしてそんなこともお構い無しに私は「ネジの大バカ!」と大層大間抜けな捨て台詞を吐き捨て駆け出していた。口より先に手が出るのは私の悪い癖だ。
「…と、いうわけなんだけど」
ねえ、どうしよう、リー。
ネジを引っ叩いて走り出した後、冷静になってサアアと頭から血が抜けた。私は一体何をやってしまったのか。そしてあああと自己嫌悪に陥りながら頭を抱え、どうしようと助けを求めたのがリーだった。演習場で修行していたリーを引き止め経緯を話す。
ネジを引っ叩いてしまった。ネジは何も悪くないのに。ただ「ひとりでいい」と言っただけなのに。そんな私にリーは真剣に話を聞いた後キッパリと私の予想とは違ったことを口にした。
「いえ、それはネジが悪いです」
「え…でもネジはただ自分の思ったことを言っただけだし…」
「いいえ。ひとりでいいだなんてそんなこと言うネジが悪いです」
ネジが悪いです。そう言ったリーはどことなく、やはりネジを引っ叩いたときの私と同じ様に怒っているように感じた。……そうだ。悪いのはネジだ。
「…そうよね」
「はい」
「そうよね!?ネジが悪いよね!?」
「ええ」
そうだ!そうなんだ。悪いのはあいつだ。だって、何でそんなこと言うんだ。ずっとひとりでいいだなんて。腹が立って仕方ない。
「最近柔らかくなってきたと思ってたけどでもやっぱりさっきのは許せない!」
だって、そんなのあんまりだ。許すわけない。私だってリーだってガイ先生だって。他のみんなだって許すわけない。
「ネジは鋭い様に見えて肝心なところがとても鈍いです。テンテン」
「うん。知ってる。ていうか今知った」
「天才で頭もよくて白眼も持ってるのにネジは鈍いです」
「ほんっとに!あんの馬鹿!」
そんなネジの悪口に花を咲かせているとき。ザッと背後に気配。
「…テンテン」
ネジだ。そしてリーが「では僕は修行があるので」と去って行く。何となく続く沈黙。やっぱり怒ってるのかな、そう思った時。
「すまなかった」
「え…」
「俺が、その、考え無しだった」
ネジの意外すぎる言葉に勢いよく顔を上げるとバツの悪そうな顔。…何だ、私が怒った理由、ちゃんと分かったんだ。
「…ネジが一生独身だろうとなんだろうと私はどうでもいいの」
「…あぁ」
「私はその間にエリートでイケメンの旦那さん見つけて結婚してそんで独り身のネジに自慢してやるし、だからネジが結婚しようがしまいがどうでもいいの。私が言いたかったのはそんなことじゃなくて」
「…あぁ」
分かる。そう言って無表情のまま俯いたネジにだんだんと視界がぼやけてくる。ジワジワと込み上げてくるさ何か熱いものが目を覆っていく。じんわり濡れる瞳をなんとか誤魔化しながら言いたいことを言ってやろうと口を開くも上手く言葉になって出てこない。沢山文句言ってやろうと思ってたのに。
「私だって、リーだってガイ先生だって、今までネジを育ててくれた人達みんな、ネジの幸せを願ってる…」
「…」
「それなのに…全部諦めたみたいな顔して、誰も必要ないみたいな、ずっとひとりでいいなんてそんな、何でそんな寂しいこと言うのよ」
「…」
「当然みたいに、そんなこと言わないで」
バカ、と渾身の罵倒を込めて出した言葉にと同時に目からポロリと涙。それを見たネジがぎょっとして目を丸くし手を私の肩に添える。
「分かった。悪かったから泣くな」
「泣いてない!」
「泣いてるだろ…どう見ても…」
普段滅多に泣かない癖にと呟くネジを、誰のせいよと睨みつけるとまた言葉を詰まらせ悪かったと謝ったネジ。そして目を擦る私から視線を外し俯き加減で呟くように口を開く。
「…ああいう、家族だとかそういうものが俺には遠いものに感じて、だからひとりでいいと、そういう意味で言ったんだ」
「…」
「だから別に自分が不幸だとかそういうことを言いたかったんじゃない」
「…家族が遠いものだなんて、ほんっとアンタってリーが言ってた通り鈍感ね!バカ!」
「ど…」
「家族ならガイ先生もリーも私もみんな家族みたいなものじゃない」
口に出した瞬間にじんわりと恥ずかしくなったけど、私は、いやあの二人だってそう思ってる筈だ。口には出さなくても人と人との繋がりってそういうものだ。それが分からないなんて何だか私達が片想いでもしてるみたいでムカつくし鈍感にも程がある。
「まったく、ほんと!どうしようもないんだから!」
べしっとネジの背中を叩く。何だか久しぶりに人と喧嘩したなあ。感情に任せて引っ叩いて謝られて泣いて。今更ベソをかいたのが恥ずかしくなってきてそれを誤魔化すように「あーあ」と伸びをする。今日は何だかお腹が空いたし美味しいものでも食べたいな。
「そうだ、一楽でも行こうよ」
「ああ…」
「リー達も誘ってさあ」
ほら行くよと腕を引く。きっと他の人から見たら私達は、さっきいた家族の様には見えないのだろうけどそれでもそれに似たような形の繋がりがある。掴んだネジの腕が温かくて、あぁ何だかんだこういう日も悪くないななんて突拍子もないことを考えたりして。さてラーメンは何を頼もうかな。
「まあさ、ネジが本当に誰もお嫁さんもらえなかったら仕方ないから私がなってあげるから」
これで心配無用だねなんてふざけて笑って夕焼けに染まりつつある街に向かって二人、影を伸ばした。やはりネジは穏やかな顔をしていた。
20130610